地球が「サラス」から「アルス」に更新され何もかも新しくなる機会に、去り行くサラスにあった日本に生を享けた者としての総括を

古い地球(サラス)を去るにあたって、昭和・平成の世を生きたものとして、我々の生きた時代を総括する必要があると感じ、筆を取る事と致しました。この地球上で記憶に残る事と言えば殺獏とした戦いの歴史ばかりであります。勿論筆者も個人的にはほのやかな幼少時代、楽しい少年時代、華やかな青年時代(青春時代)、充実した壮年時代と、比較的平穏に暮らさせて頂き、天の神様からは身に余る愛を頂いてきました、本当に感謝に耐えません。然るに一歩目を転じてマクロな形でこの世を見ますと、昭和・平成を離れても日本の所謂有史以来戦争ばかりであり、平和だった時期の極めて短い恥ずかしい歴史であります。昭和の戦後から、平成にかけては日本は平和を守ったとはいえ、世界ではアメリカを中心として、戦火の絶え間がない位でありました。宇宙の4大法則が、愛・調和・万物一体・自然であり、地球(サラス)以外の遊星では殆どこの4大法則に従った平和な社会が成長しており、その中で人類が肉体的にも霊的にも進化を遂げて素晴らしい社会を形成しております。それに比較して我々の地球(サラス)の場合には全く残念な経過をたどっております。今の今も戦乱は終結しておらず全くの話遺憾な状況にあります。

実際の話、天の神様の高度な創造力に起因しない我々の地球(サラス)上の文明は完全に行き詰っており、事実上、自然崩壊を俟つばかりであります。政治・経済・科学その他総ての分野で計り知れない閉塞感が覆いかぶさってきており、この救いようの無い地球(サラス)の現状は如何ともしがたいところまで来ています。

地球(サラス)の場合には、他の遊星と異なり、
1.宇宙との交流が閉ざされ、宇宙のはぐれ物になっている。だから、やたらと探査船を宇宙に送り出しているが、本当の事は見せてもらえない。従って、宇宙の真実を全く知らないで私達地球(サラス)人は生きている。
2.現在の地球(サラス)人の肉体は不完全であり(水分が多過ぎ密度が足りない)為、微生物その他黴菌の侵略を直ぐ受ける、又神経その他伝達系に故障が起こるーーー即ち、各種の病気になる)。宇宙の他の遊星に生きる人々は、既に進んでおり、最早病気の無い生活を送っている。
3.本来、私達の魂は永遠に生き続けますが、地球(サラス)では輪廻転生の制度が弱く、魂の修行場としての位置づけがはっきりとしない為に、魂の進化が遅れている。結果として、他の遊星の人々の方が遥かに霊的に高い。
4.地球(サラス)では、化石燃料をエネルギー源として使用している。或いは、天の神様の最も忌み嫌われるところの、原子力にも頼ったりしている。これは地球(サラス)の科学が未熟な為であり、そも、天の神様がお造りになったこの大宇宙がその様な、有限の物質に頼らなければいけないような、不具合に出来ているわけがありません。天の神様はこの為に宇宙の隅々まで大量のエネルギーを放出されているのですが、地球(サラス)の科学ではこの無限に供給されている天の神様のエネルギーを資化する術を知らないのです。
5.天の神様とその宇宙は科学です。宗教では有りません。地球(サラス)上の所謂文化・文明は何の意味もありません。例えば宗教ですが、一片の科学的な事実も有りません。最もひどいのが仏教でしょう。有りもしない嘘を並べ立てた結果が今日の様に繁栄しているというのですから、開いた口が塞がりません。
上記の如く、地球(サラス)が特殊である事を示す為の一端ですが、この様な地球(サラス)の特殊性は枚挙に暇がありません。

有限の物質に立脚した文明の当然来るべき限界、妄想にしか過ぎない『宗教』に立脚した文化、それが夫々の宗教による文化の違いから起きる殺し合い、何時破裂するか分からない原水爆、何れを取ってみても最早我々の地球(サラス)には退路がありませんでした。殊に原水爆の破裂は致命的です。読者は原水爆の破裂と言う言葉で、例えば広島や長崎に落とされた様なもの、即ち大量殺戮ではあるが局地的な破壊が起こるだけと想像されると思いますが、そんな問題ではありません。今度誰かが原水爆を落としたら、地球(サラス)自体が破裂してしまうのです。昔、火星と木星の間にルシファーと呼ばれる遊星があったのです。その事は例えば英語の辞書にLucifer(暁の明星)として記載されており、この地上に名残を留めています。何時か日本の探査船「はやぶさ」が調査した「イトカワ」というカケラはこのルシファーの残骸です。ルシファーは核実験の結果破裂し、粉々になってしまったのです。ですから冗談ではないのです。

「サラス」の世は終わり間も無く「アルス」の世になります。世の終わりに際し日本の来し方を振り返ると言う事になりますと、総括と言う意味では近隣の諸国との国際関係がどのようであったか振り返る事は避けては通れない道だと思います。この点に就きましては今上天皇もそれに類した事として、戦争への道をはっきりと記載し残しておくべきと言った意味のご発言をされております。

読者もご承知の如く、江戸時代は鎖国であり長崎は出島を通じての対外関係が特筆すべきものであり、本格的に海外との関係が再開されたのは明治時代に入ってからです。従って我々は明治時代以降を視野に入れて特に問題の有る日朝関係、並びに日中関係を総括し、その延長線上にある太平洋戦争に触れていこうと思います。