日朝関係)その3

目に見える形で朝鮮が日本に自由を奪われたのは1905年12月の韓国統監府の設置ですが、その命運を決したのは1902年10月の第一次桂太郎内閣のときに479万円の支出を清韓事業費・経営費(即ち中国と韓国を侵略する為の工作費用)として閣議で決定した時でありましょう。桂の後ろで伊藤が糸を引いていた事は疑う余地の無い事実であろうと思われます。つとに有名な処でありますが、日本の官僚機構の愚かな処は「継続は力なり」と言って一度始めたら止められないところにあります。しかも通常は、そうして始めた事柄は、右肩上がりに拡大いたします、これが特徴であり彼らの常套手段です。朝鮮侵略はその典型的なパターンでしょう。

かくして1909年7月の閣議決定韓国併合」に及び太平洋戦争終了の1945年8月15日にまで及ぶ40年もの長きに亘り朝鮮の人々を蹂躙してしまったのであります。「日本が何もしなくても同じような事をロシヤーソ連にやられていたはずだ」というような詭弁は何の弁解にもなりません。日本人として、本当に悪かった、してはいけない事をしてしまった、朝鮮の人々よ御免なさい、どうか許してください、という以外に言いようの無い事態であります。明らかに、人道に対するほか様々な犯罪行為であり、その張本人たる伊藤博文の顔をあろう事か紙幣にも使っていたとは、日本という国は本当に厚顔無恥もはなはだしい国であります。

日本及び日本人としては、これから先、世の終わりまで、それ丈朝鮮の方々に心からお詫びし、誠を尽くさねばならないでしょう。(完)