ロスタイムに入っています

ロスタイムに入っています

1.地球(サラス)は色んな意味で完全に行き詰って居ります。例えば世界中に散らばって居る何万発もの原水爆弾、これは1発破裂しても地球は粉々になってしまいます。サラスの有り方が変わらない限り、私たち人類はこのような危険の中で生活する事を余儀なくされております。この事はcheck & balanceで実際には誰も発射できないのだからいいと言う問題ではありません。そこに間違いなく何万発もの原水爆弾は有るのですから、幾ら天の神様が抑止して頂いているから良いと言っても、天の神様からご覧になっても、この様なものが無い地球の方が良いに決まって居ります。そもそも原子力、或いは原子爆弾の類はサタンによる産物であります。原爆投下時のアメリカの大統領トルーマンはサタンであります。これが原爆を製造させ、エノラゲイにファットマンを載せてkiss to Hirohitoと書いたうえで広島・長崎に投下したのです。これは、サタン(トルーマン)が昭和天皇を明らかにタイタスカン(王の王)即ち天の神様から派遣された地球で一の人と言う事を認識したうえで、その昭和天皇に挑戦状をたたきつけたのであります。当時は未だ、天の神様によるサタンからの地球奪回作戦は成功して居りませんでした。さて、太平洋戦争につきましては勝敗の帰趨は誰の目から見ても明らかで時間の問題だったところへ、必要もないのに唐突に原爆の投下が行われたのであります。原子力或いは原子爆弾に関して言えば、全くの話サタンの置き土産であり、その結果これまで地球は大いに苦しめられてきました。もういいでしょう、そうです、天の神様のお蔭でこんな忌まわしい問題からも卒業できる時がやって来ました。

2.原子力の問題はエネルギーの問題に絡みますが、エネルギーに関しては天の神様が大量にエネルギーを宇宙に放出して居られます。このエネルギーの取り込みに関してはちょっとした技術でこの大量の宇宙のエネルギーを電気エネルギーとして取り込むことが可能です。太古には、未だ地球が天の神様の良い生徒であった頃には地球はこの宇宙エネルギーを取り込んで生活して居ました。この様に宇宙に大量にエネルギーが流されていることを技術的に把握する事、これを電気エネルギーとして資化できる技術、これらの技術は単純なものであると思うが、この程度の技術を地球は持つ事が出来なかった。ここから地球の悲劇は始まった。「資源は地から」という誤った概念のもとに、この美しい地球に傷を付け、あちこち掘り返した。その挙句、島の取り合いにまで事態は発展してしまった。こんなくだらない問題だが、今の地球(サラス)にこれを解決出来る力があるとは思えない。この問題から解放さるべき、卒業の時が、天の神様の深い愛のお蔭でやって来たのです。
3.現在の地球の抱える問題点として、実際には数え上げられないくらいたくさんあり、全くの話、現在の地球、サラスは『カルマ』の塊だが、取り敢えず原子爆弾とエネルギーの問題を取り上げた。

『カルマ』のきついものは「パンドラの樽(箱)」の蓋が空いている以上、即ち「地獄」の窯の蓋が空いている以上、その間にも、どんどん処罰を受ける。即ち「東北地方」がそうであり「九州」がそうである。特に東電は原発で手ひどい天罰を受けたが、これは東電に原発を運転する資格が無いと言う事で、直ちに原発から撤退せよと言う事であるが、ロスタイム下の人々は非常に鈍く正確な反応は見られない。

4.あと20年内外でこのサラスの地軸はラタカルタ(愛)の位置に大きく変動し、新しい地球「アルス」となる。この事は天に於いて既に決定されて居る事であり、現在はその移行期間、即ち謂わば「ロスタイム」の消化の時期に入っている。この間の地球で何が行われようが関係なしに、あと20年内外で現在の地球は完全に消滅する。20年内外と、時期については多少の幅を持たせているが、これは実際には幅の有る事では無く、天の神様は既にご決定されて居る事と思いますが、それを公表されて居らないだけであります。

5.皆さんは、地軸の変動がどれだけのインパクトを与えるものか考えたことが有りますか?去年3月に経験した東北地震、東京では5弱だったと思いますが、入っている建物が壊れるのではないかと思った位の非常に強い揺れでした。地軸の変動ともなればそんなものではありません。東京スカイツリーはじめありとあらゆる構築物は総て消え去り大海の藻屑となります。即ち、東京では何も無くなるのです。一片の紙切れすら残りません。勿論この状況は世界中で起こります。世界中全く何もない丸裸になるのです。この間に、大西洋、地中海、黒海で囲まれたヨーロッパの大半は総て海中に没します。高い山の頂だった所が3つ島として残ります。その他、地上では「天の神様」に記載のある通りの大変化が起こります。

6.新しい地球「アルス」では、貨幣経済では無く奉仕社会として「清新な」社会が営まれます。

2012.10.03