神様の宇宙

神様の宇宙


1. 私たち人間:

私たち人間は、現在それぞれの着物(肉体)を着て、それぞれの「人生」を送っている。それぞれの人生において神様から見て「学び」を得るために日々送っている状態であります。そしてその人生が終わるとき(死)魂に戻り、また新たに「現象社会」に戻ると新たな「人生」を歩み、再び学びを積み重ねて魂の進化を図ります。即ち、それぞれの人生においては有限でありますが、私たちの魂は永遠の進化の道を歩んで行く無限の生命を持った永遠の存在であります。即ち100億年でも生き続けるのです。その間に、私たちはどんどん進化を続けます。現在の「サラス」の地における肉体では、性能が極めて悪いのでその様な事は無理ですが、次の「アルス」の地では肉体が大きく進化していますし、また「アルス」のバイブレーションもそれなりに高いので可能になりますが、それは、食事をしなくてもよくなったり、睡眠をとる必要がなくなったり致します。これらは進化の一環です。

こうして、我々人間とは、永遠に進化の道を歩み続けます。そして「学び」とともに魂はどんどん霊的に高くなっていきます。大体2千年程度が平均的なめどになっているようですが、こうして2千年程度が経過した段階で我々人間も「神」になります。もちろん新米の「神」ですから「霊的に」そう大したことはできません。でも6−70億年もすれば、或いは現在の主神、「天の神様」のレベルに近づけるかもしれませんよ。

2. 天の神様:

他の文章でも取り上げておりますが、「天の神様」が私たちの宇宙の最高神、即ち主神であります。この宇宙はすべてこの神様によって作られました。当然「天の神様」は地球のできる前から宇宙におられます。そのご子息である「サナンダ様」とともに宇宙を創造されました。サナンダ様はずっと時代が下がって,紀元前後に地球に生を享けて「キリスト」として、依然として強かった「サタン」に対する警戒を訴えられました。そしてサタンにより十字架にかけられ刑死し、地球人類に対する警告を発せられたのであります。

「天の神様」の霊的なレベルの高さに関しては、宇宙そのものを創造されたのでありますから、いまさらとやかく言う必要もないでしょうが、当然に聖書にもあるような海を割ったりするようなことは朝飯前であります。今度も「サラス」から「アルス」に移行するに際して地軸を「ラタカルタ(愛)」の位置に移すことなどもたやすい事であります。

例えば先に述べたサタンは「天の神様」の天敵でありますが、ともに霊的に高くなった場合の戦いにはちゃちな戦艦や、戦車や、戦闘機など何の役にも立ちません。

地球をサタンの手から取り戻すために「天の神様」並びにその配下はサタンと激しい戦いを演じたわけですが、その一例は、エクアドルの儀式に参列した「天の神様」の配下がエクアドルから帰る際この儀式の効力を消すために参加者を亡き者にしようとサタンが搭乗機に攻撃を仕掛けてきたのです。「天の神様」の側からは緊急で円盤を配し万全を期したのですが、着陸を妨害するサタンの側と激しい霊力の戦いとなり、着陸させましたがサタンの霊力によりメインのタイヤ2本がパンクし、かろうじて「天の神様」が打ち勝ち、ほうほうの体での生還でした。(1978年8月30日、マイアミ空港)でもこのこともあり「天の神様」がサタンから地球を取り戻しました。

このような荒業だけではなく、天の神様がたぐいまれなすぐれた宇宙の主神である事実に触れましょう。皆様は「聖徳太子」の話をご存知でしょう。7人に同時に質問を受け、お答えになったというものであります。日本の皇室には神様クラスの方々が配されてきており、聖徳太子も神様なのでしょう。さて我らが天の神様は如何でしょう。天の神様は同時に何億人がお願い事や質問をしたとしても、それぞれに対し同時に、対応すべきは対応し、答えるべきは答えられます。そうです、天の神様の霊の高さは想像を絶するものがあります。だからこそ我らが頼れる全宇宙の主神なのです。

3. 天の神様の宇宙:

地球でも「アルス」の時代にはそうなるのですが、宇宙の人々は「天の神様」から直接に課題を与えられ、それを克服すると霊的に上昇するという形で、霊の高さを基準に社会を構成する方法をとっておられる。この方法が視界に訴えて便利なのは、人間はカルマがなくなると光るが、特に霊的に高くなると光が強くなる、ということで一見して地位がわかるという利点があるようです。

この様にして、「天の神様」が実質上宇宙を「支配」されております。そして、その配下には「神様のお席」などもありそこには24名の神様がおられますが、人間から上がられた方もおられます。もちろんその様な事は事地球だけではないと思いますが、天候の神様、東西に見張り役の神様、また、地球外では太陽のお世話をしておられるタノアス家、そして万物の責任者であられる先のサナンダ様等々が「天の神様」による神々様を絡めた統治の基軸となります。

4. 宗教は何か:

宗教は大きなものから小さなものまですべてフィクションです。即ち、どの宗教にも実際の生きた主神がおりません。ですからこれはいくら拝んでみても、願ってみても何もご利益はありません。日本の社会の現状からみて一番ひどいのは仏教です。何も根拠のないものがずかずかと社会に入り込んできて冠婚葬祭何にでも口出しし、お寺の数の多いこと。またこれはほかの宗教でも同じですが、墓など無用のものが多すぎる。キリスト教に関しては、キリスト様(サナンダ様)が現におられるではないか、という議論があろうかと思いますが、この「宗教」は「バチカン」が束ねた格好になっており、このpopeと「天の神様」との間で霊感の交流がないのです。即ちご縁が無いのです。

5. 天啓:

私は何度も天啓を受けております。
1995.3.22或るお願いごとに対し自宅の西の空に「W」の啓示。願いを受けられた。
2001.6.11-12早暁サナンダ様とお二人でかわるがわる夢に出てこられ「タバコを止めよ」
その他;
感染性の重病の治療
がんの除去
肝臓の治療
盲腸の治療
妻の貧血の治療
等々数限りなくお世話になっております。もちろん「天の神様」「サナンダ様」に直接お願いしております。

以上で「神様」を理解していただくうえで何か参考になったでしょうか。具体的なご質問があればそれにご回答いたします。

神とは

神とは


広い宇宙空間にはたくさんの神々がおられる。例えば私が述べている「天の神様」が主宰されている神様のお席には24名の神々様がおられる。そのほか天候に関与されている神様なんてのもあります。

日本人になじみの深い神様といえば、例えば天照大神様(関係のある先は伊勢神宮)、であったり木花佐久夜姫様(浅間神社)だったりする訳ですが、これらの神々様も十分に霊的に高い神々様ではありますが、それを超えて遥かに高い頂点の神様は他ならぬ「天の神様」であります。

「天の神様」は人類が地上に現れて以来、地球の万全の運航のために地上で霊的に一の人として絶やさず日本国に天皇陛下を送り込んでおられます。「天の神様」の要請でそれぞれある時期に天照大神様も木花佐久夜姫様も日本に天皇陛下あるいはその皇后様として任務を全うされております。

従い「天の神様」は神々様の中でもずば抜けた、宇宙最高神であり、すべての創造主であります。どうして地球の人々の考えが「神」といえば「天の神様」を指すという事実関係がご理解頂けないのか、まったく不思議な話であります。

他の文章で申し述べている如く、この宇宙最高の神様は何十億年の間ご健在であり、最高神としてのお役割を十分に果たされながら、現在はご家族と共に金星にお住まいになっておられます。

宗教に関係なく、所謂「神様」に願い事をする場合、天で皆様の願い事をお聞きになっているのは他ならぬ「天の神様」であります。

アルスへの移行

アルスへの移行


「天の神様」に記載のある如く、あと何年かで現在の地球「サラス」の地軸は「ラタカルタ(愛)」の位置に変動致します。ですから「ロスタイムに入っています」に述べられているが如く、結果としては地上にあるものはすべて烏有に帰しますので、現在進行中の事柄はすべて幻のようなものであります。

地軸の変動によりまず地上の構築物はすべて削ぎ取られます。そしてその後地球は大洪水に見舞われます。それは地上のありとあらゆるものを覆います。一体地球にこれだけの水があったのかと思うくらいの大洪水です。この大洪水で、削ぎ取られたすべての構築物は流され、深海の藻屑となります。長い時間をかけて、水が引いていき、やがて新しい地球「アルス」の地が現れます。これに数年の歳月を要する可能性があります。

我々地の人々は、地軸の変動の前に、「天の神様」差し回し、かつ座席指定の「UFO」に乗り、あるものは金星へ、或いは火星へ、木星へと疎開を致します。但し通常の人々は「アルス」の大気に適性が無い為、「アルス」では生きていけないので、「UFO」に乗る前に肉体を脱ぎ捨て、魂のみで「UFO」に乗船致します。備えのある体を纏っている若者たちは、肉体のまま「UFO」に乗船致します。

地球人、即ち殆どは幽体を付けた魂、と一部の肉体のままの若者、にとってはこの際の、各遊星滞在はオリエンテーションとしては格好の機会であります。実際に、例えば金星の中で生活すれば大体の様子は理解できるでしょう。宇宙の遊星はどの遊星も同じようなレベルにありますから、「宇宙基準」といった形のものがどの遊星にお世話になることになっても把握できると思います。

やがて、「アルス」の水が引き、安全が確認される段階に入りますと、それぞれの遊星から再び「UFO」に乗り、或いは魂で、はたまた肉体の儘で「アルス」に上陸し、新しい「アルス」の建設の仕事に取り掛かります。その世は、かっての「サラス」の気が違ったような「物質万能」の世ではなく、「霊的な高さ」が求められる世となります。

このことにつき、渡辺大起著の「宇宙からの黙示録」に記載がありますので転載いたします。

無からの出発

それでは、全人類が古いカルマを説き、生まれ変わって住むことになる新しい世とは、どのような世界をいうのであろうか。まず最初に言えることは、新しい地球、新しい世が作られていくにあたって、以前の古い地球のものは一切引き継がれないということである。すべては“無”“ゼロ”から新しく作られてゆくのである。

新しい世は全人類、すべてのものの誠が輝く世である。そこでは魂の輝きが見え、人類はそれぞれの魂の輝きによりおのずからなる秩序で、正しく自然にすべられる。今の地球の如く、魂の輝きに関係なく金持ち、権力者、強者、学者等々によって誤った秩序を強制される世ではない。姿、形はいかにみすぼらしく見えようとも、魂の輝き、真の輝きによりすべてが成る世である。

姿、形を賑々しく威武威武しくして、形の威厳をもって美しく立派に見せかけるという発想は、粗雑で重厚な物質的進化だけを求めた、獣的進化の段階にある過去の地球のみが取ってきた道なのである。

新しい世においては、霊的進化の段階に応じた任務が神様から授けられ、その役目を感謝と奉仕で果たしてゆく。

それでは、その時が来ましたら、皆様間違いなく夫々指定される「UFO」にご乗船下さるようよろしくお願い致します。

ロスタイムに入っています

ロスタイムに入っています

1.地球(サラス)は色んな意味で完全に行き詰って居ります。例えば世界中に散らばって居る何万発もの原水爆弾、これは1発破裂しても地球は粉々になってしまいます。サラスの有り方が変わらない限り、私たち人類はこのような危険の中で生活する事を余儀なくされております。この事はcheck & balanceで実際には誰も発射できないのだからいいと言う問題ではありません。そこに間違いなく何万発もの原水爆弾は有るのですから、幾ら天の神様が抑止して頂いているから良いと言っても、天の神様からご覧になっても、この様なものが無い地球の方が良いに決まって居ります。そもそも原子力、或いは原子爆弾の類はサタンによる産物であります。原爆投下時のアメリカの大統領トルーマンはサタンであります。これが原爆を製造させ、エノラゲイにファットマンを載せてkiss to Hirohitoと書いたうえで広島・長崎に投下したのです。これは、サタン(トルーマン)が昭和天皇を明らかにタイタスカン(王の王)即ち天の神様から派遣された地球で一の人と言う事を認識したうえで、その昭和天皇に挑戦状をたたきつけたのであります。当時は未だ、天の神様によるサタンからの地球奪回作戦は成功して居りませんでした。さて、太平洋戦争につきましては勝敗の帰趨は誰の目から見ても明らかで時間の問題だったところへ、必要もないのに唐突に原爆の投下が行われたのであります。原子力或いは原子爆弾に関して言えば、全くの話サタンの置き土産であり、その結果これまで地球は大いに苦しめられてきました。もういいでしょう、そうです、天の神様のお蔭でこんな忌まわしい問題からも卒業できる時がやって来ました。

2.原子力の問題はエネルギーの問題に絡みますが、エネルギーに関しては天の神様が大量にエネルギーを宇宙に放出して居られます。このエネルギーの取り込みに関してはちょっとした技術でこの大量の宇宙のエネルギーを電気エネルギーとして取り込むことが可能です。太古には、未だ地球が天の神様の良い生徒であった頃には地球はこの宇宙エネルギーを取り込んで生活して居ました。この様に宇宙に大量にエネルギーが流されていることを技術的に把握する事、これを電気エネルギーとして資化できる技術、これらの技術は単純なものであると思うが、この程度の技術を地球は持つ事が出来なかった。ここから地球の悲劇は始まった。「資源は地から」という誤った概念のもとに、この美しい地球に傷を付け、あちこち掘り返した。その挙句、島の取り合いにまで事態は発展してしまった。こんなくだらない問題だが、今の地球(サラス)にこれを解決出来る力があるとは思えない。この問題から解放さるべき、卒業の時が、天の神様の深い愛のお蔭でやって来たのです。
3.現在の地球の抱える問題点として、実際には数え上げられないくらいたくさんあり、全くの話、現在の地球、サラスは『カルマ』の塊だが、取り敢えず原子爆弾とエネルギーの問題を取り上げた。

『カルマ』のきついものは「パンドラの樽(箱)」の蓋が空いている以上、即ち「地獄」の窯の蓋が空いている以上、その間にも、どんどん処罰を受ける。即ち「東北地方」がそうであり「九州」がそうである。特に東電は原発で手ひどい天罰を受けたが、これは東電に原発を運転する資格が無いと言う事で、直ちに原発から撤退せよと言う事であるが、ロスタイム下の人々は非常に鈍く正確な反応は見られない。

4.あと20年内外でこのサラスの地軸はラタカルタ(愛)の位置に大きく変動し、新しい地球「アルス」となる。この事は天に於いて既に決定されて居る事であり、現在はその移行期間、即ち謂わば「ロスタイム」の消化の時期に入っている。この間の地球で何が行われようが関係なしに、あと20年内外で現在の地球は完全に消滅する。20年内外と、時期については多少の幅を持たせているが、これは実際には幅の有る事では無く、天の神様は既にご決定されて居る事と思いますが、それを公表されて居らないだけであります。

5.皆さんは、地軸の変動がどれだけのインパクトを与えるものか考えたことが有りますか?去年3月に経験した東北地震、東京では5弱だったと思いますが、入っている建物が壊れるのではないかと思った位の非常に強い揺れでした。地軸の変動ともなればそんなものではありません。東京スカイツリーはじめありとあらゆる構築物は総て消え去り大海の藻屑となります。即ち、東京では何も無くなるのです。一片の紙切れすら残りません。勿論この状況は世界中で起こります。世界中全く何もない丸裸になるのです。この間に、大西洋、地中海、黒海で囲まれたヨーロッパの大半は総て海中に没します。高い山の頂だった所が3つ島として残ります。その他、地上では「天の神様」に記載のある通りの大変化が起こります。

6.新しい地球「アルス」では、貨幣経済では無く奉仕社会として「清新な」社会が営まれます。

2012.10.03

世の終わりに際しての総括

世の終わりに際しての総括

世の終わりに際し日本の来し方を振り返るという事になりますと、総括という意味では近隣の諸国との関係がどのようであったか振り返る事は避けては通れない道だと思います。読者も御存知の如く、江戸時代は鎖国であり長崎は出島を通じての対外関係が特筆すべきものでありペリ−の浦賀とか例外はありますが本格的に海外との関係が再開されたのは明治時代に入ってからであります。したがって我々は明治時代以降を視野に入れて特に問題の日朝関係、並びに日中関係を総括し、その延長線上にあります太平洋戦争に触れていこうと思います。

日朝関係)

この時代には朝鮮はまだ南北に分かれていなかったので、本章では一括して日朝関係といい、半島の国を朝鮮といいましょう。日朝関係に関し、不完全なものではありますが別表I)の如く年表を用意いたしました。これにより少しでも読者の皆様の明快・明確な日朝関係のご理解の御参考になればと思います。

朝鮮に関してはいささか不思議に思う事ですが、日本が対外的に拡張を言うとき、まず出てくるのが朝鮮であります。具体的な回数は少ないのですが‐‐‐勿論こんな回数が多いとそれこそ問題がいっそう大きくなりますが‐‐‐神功皇后の時、秀吉の時と2回過去にあり明治―大正―昭和とかけての徹底的なものが最後の1回であります。不思議というのは、現在でも高速道路を巡って国内で引っ張り合いを行っているような状況、言葉を変えれば国内行政がいまだに完成していないような状況、又、地方には過疎問題もあるような国が何ゆえ海外にまで国土の拡張を求めたのか、実際のところ何か狂っていたとしか思えないのであります。資源問題といっても当時も日本のアキレス腱は石油であり、朝鮮からは一貫して石油は出てこないのです。それこそ“重厚な物質の中の意識の夢遊状態”に陥っているとしか言いようがありませんが、このような狂いは一体どこから生じてきたのでしょうか、否、一体誰の想念が起点となったのでありましょうか。

1885年12月に太政官制度を廃止して、内閣制度を敷きました。このときから政策のブレは激しくなっていくのですが、「文明開化」、「富国強兵」の明治のスロ−ガン丈で日朝関係をおかしくしたのでもありませんし、所謂‘列強’がやりたい放題のことをやっていたから(例えば米国は1893年1月ハワイの王政を武力〔海兵隊〕をもって打ち倒し、1897年6月に併合しています)その影響を受けた丈でもないように思います。申し上げたように、それは今の日本でも同じ事ですが、日本の国民に取りその国土は十分に広いのです。勿論他国を侵略しなければいけないような理由はどこにも無いのです。筆者は、そこで登場する一人の政治家の想念が非常に歪んだものであったとしか言いようが無いと考えています。

それは、初代(1885年)の首相の伊藤博文であります。彼は明治憲法を始め明治の政
別表I)
1888(明21) 6月 伊藤博文、朝鮮漁港とウラジオストック地方を視察する。
1889(明22) 2月 朝鮮・鎮江に排外運動起こる。
         10月 朝鮮が日本に対して穀物の輸出を停止する(防穀令事件)。
1893(明26) 3月 朝鮮政府が防穀令に関する日本の損害は4万円と通告してくるが、大石公使拒絶する。
          5月 大石公使が朝鮮国王に謁見し、防穀令事件の最終回答を要求する。防穀令問題で妥協が成立、日本に賠償金11万円の支払いを決定する。
1894(明27) 3月 朝鮮で東学党京城請願運動が起こる。
5月 東学党、朝鮮全州を占領。
          6月 朝鮮、東学党鎮圧のため清国に援軍を要請。
             閣議で混成1旅団朝鮮派兵を決定する。日清両国相互に朝鮮派兵を通告。
7月 大島公使が朝鮮に内政改革案を提示する。朝鮮政府に対し清  
国と朝鮮の宗属関係の破棄を要求する最後通牒を提示。豊島沖で清国軍艦を攻撃。日本軍が朝鮮王宮を占領する。
          8月 清国に宣戦布告、日清戦争始まる。日韓暫定合同条約に調印し、京仁・京釜鉄道の敷設権を獲得。日韓攻守同盟調印。
1895(明28) 1月 朝鮮・洪範14条の宣言(独立改革を確認)
10月 日本軍隊及び壮士、大院君を擁してク−デタ−を起こし、朝鮮王妃閔氏を殺害する。駐朝鮮公使の三浦梧楼を召還し、京城事件容疑で拘引するが、明治29年に免訴となる。
1896(明29) 2月 韓国で、親ロシア派によるク−デタ−が起こり親日派政権が打倒される。
          5月 京城で日露協定成立(小村・ウェ−バ−覚書)。
          6月 朝鮮問題に関して山県・ロバノフ協定調印。
1897(明30)10月 朝鮮が国号を大韓と改め、王を皇帝と称する。
1898(明31) 9月 京釜鉄道の敷設の日韓条約を調印する。
1900(明33)11月 京仁鉄道開通。
1902(明35) 5月 第一銀行が韓国で銀行券を発行する。
         10月 閣議で清韓事業費経営費に479万円の支出決定。
1903 (明36)12月 軍事参議院条例で京釜鉄道速成に関する緊急勅令を交付する。
1904(明37) 2月 日韓議定書調印。対露開戦。
          3月 京義鉄道敷設に関する日韓約款調印する。
          5月 朝鮮、ロシアとの協約・協定を全面破棄。
          8月 第一次日韓協約調印(財政・外交顧問を置き、日本が実権を掌握)。
1905(明38) 2月 韓国に日本人警務顧問をおく。
          4月 閣議で韓国保護権の確立を決定する。
         11月 外交権を完全に日本が掌握。
         12月 韓国統監府が京城におかれ伊藤博文が統監になる。
1906(明39) 2月 駐韓日本憲兵行政警察司法警察掌握の勅令公布。
          4月 韓国統監府、保安規則公布。
          5月 中清、朝鮮全羅南道反日反乱。
          6月 駐韓日本軍、淳昌で排日暴動を鎮圧。
          7月 京釜・京仁鉄道を買収し韓国統監府の管理下におく。
1907(明40) 7月 ハーグ密使の件で韓国皇帝譲位、韓国内政全般を統監の指導下におく。第三次日韓協約に調印。
          8月 京城で韓国軍隊解散式、軍の一部は反対して日本軍と交戦、翌年にかけて反日反乱が全土に拡大。
         10月 韓国警察官を日本官憲の指揮下におく取極書を締結。
1909(明42) 6月 韓国統監が伊藤博文から曾禰荒助に交代。
          7月 閣議桂太郎内閣)で韓国併合の方針を決定。韓国の司法・監獄業務を掌握。
         10月 伊藤博文ハルビン駅頭で朝鮮の独立運動家、安重根によって暗殺された。
1910(明43) 8月 韓国併合に関する日韓条約調印。宣言発表。朝鮮総督府を設置。
          9月 朝鮮における政治結社に解散命令。
1914(大 3) 1月 間島朝鮮人暴動。
1918 (大 7) 3月 京城をはじめ朝鮮各地で独立運動が約6ヶ月続く(万歳事件)。
          8月 朝鮮総督斎藤実大将を任命。
          9月 斎藤実総督、京城で暗殺。
1919(大 8) 4月 李承晩、上海に大韓臨時政府を樹立。
1920(大 9)10月 琿春日本領事館、朝鮮人らの襲撃を受けて焼失(間島事件)。
1922(大11)10月 朝鮮労働者同盟会結成。
1923(大12) 3月 朝鮮義烈団の独立テロ計画発覚。
          9月 第二次山本権兵衛内閣成立。京浜地区に戒厳令施行、朝鮮人暴動の噂が広がり市民が自警団を組織、朝鮮人大虐殺が始まる。(関東大震災
1929(昭 4)11月 朝鮮疑獄事件に関し山梨前総督召還。
1930(昭 5) 5月 間島で朝鮮人反日武装暴動起こる(間島5.30事件)。
         10月 第二次間島暴動。
1931(昭 6) 6月 朝鮮総督宇垣一成任命。
          7月 長春郊外で中国・朝鮮の農民が衝突(万宝山事件)。
          9月 柳条溝の満鉄線路爆破事件を口実に関東軍、軍事行動を開始(満州事変勃発)。朝鮮軍満州へ越境出動。
1932(昭 7) 1月 桜田門事件(朝鮮人による天皇暗殺未遂事件)起こる。
          3月 満州国建国宣言。(6月承認)
1935(昭10)12月 当年、満州で潜かに細菌兵器研究所が設立される。
1938(昭13) 4月 朝鮮志願兵制度を実施。
         11月 近衛首相が東亜新秩序建設を声明(第二次近衛声明)。
1943(昭18) 3月 兵役法を改正、朝鮮に徴兵制を敷く。
1945(昭20) 8月 太平洋戦争終結。朝鮮解放。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

府の枠組みを作りました。従って、この政府の行くべき方向も大きく彼によって規定されたと考えます。彼は都合4度組閣していますが、全くの話わけの分からない議会制度をつくり明治天皇のお力を背景に力のバランスの上を泳いでいたような人物との印象が強いのです。具体的には衆議院貴族院のほかに、枢密院を作り政治制度を複雑にいたしました。(そのほかに軍事参議院というのまで有ります。)

注目すべきは彼の視察であり、年表の如く1888年6月には朝鮮漁港とウラジオストック地方、さらには1898年8月に清国を視察しています。これらの視察対象地域、或いは国は総て後になって紛争或いは侵略の対象となっております。彼は1909年10月ハルビン駅頭で朝鮮の独立運動家、安重根の銃弾により暗殺されますが、私どもの今の平常の暮らしから見れば、伊藤博文という人は非常に狂った日本人であり他国の侵略に狂奔した犯罪人であり、当然の事ながら朝鮮の人々からは大きな恨みを買っていたのでしょう。年表をごらん頂いても分かるとおり、日本の朝鮮侵略の手口は同じ日本人なら嫌になるくらい陰湿で陰険なやり口でなんとも忸怩たる気持ちになってしまいます。

日本の侵略の手口は鉄道から入りました。この手口は後年の満州を乗っ取る時にも応用されました。即ち1894年8月京仁・京釜鉄道の敷設権を獲得している。京仁鉄道は1900年11月に開通しています。京釜鉄道については、1898年9月に改めて敷設の条約に調印しています。さらには1904年3月には、今南北朝鮮間で話題になっている京義鉄道敷設権も得ています。そして京釜鉄道も完成し、1906年には京仁・京釜両鉄道を日本が買収しています。満州も全く同じです。
目に見える形で朝鮮が日本に自由を奪われたのは1905年12月の韓国統監府の設置ですが、その命運が決したのは1902年10月の第一次桂太郎内閣のときに479万円の支出を清韓事業費・経営費として閣議で決定した時でありましょう。桂の後ろで伊藤が糸を引いていた事は疑いの無い事実であろうと思われます。つとに有名な処でありますが、日本の官僚機構の愚かな処は「継続は力なり」とか言って一度始めたら止められないところにあります。しかも通常は、そうして始めた事柄は、右肩上がりに拡大いたします、これが特徴であり常套手段です。朝鮮侵略はその典型的なパタ−ンでしょう。

かくして1909年7月の閣議決定韓国併合」に及び太平洋戦争終了の1945年8月15日にまで及ぶ40年間もの長きにわたり朝鮮の人々を蹂躙してしまったのであります。「日本が何もしなくても同じような事をロシア−ソ連にやられていたはずだ」というような詭弁は説明にも理由にもなりません。日本人として、本当に悪かった、してはいけない事をしてしまった、朝鮮の人々よ御免なさい、どうか許してください、という以外に言いようの無い事態であります。明らかに、人道に対するほか様々の犯罪行為であり、その張本人たる伊藤博文の顔をあろう事か紙幣にも使っていたとは、日本という国は本当に厚顔無恥も甚だしい国であります。

日本及び日本人としては、これから先、世が終わるまで、それ丈朝鮮の方々に心からお詫びし、誠を尽くさねばならないでしょう。


日中関係

この関係も明治の出だしから不自然なものを感じます。軍備を強化する一方でリベラルな意見の持ち主を追い込め、言論統制を強めた上で、日清戦争の勝利を経て、1898年8月伊藤は清国を視察しています。朝鮮のところでも触れたが1902年10月に第一次桂太郎内閣のとき、閣議で清韓事業費・経営費として479万円を支出する事を決定しています。これが結果としてその後の日本の方向を決定付けたのではないかと考えます。

確かに清国もこの時期不安定な要素もありました。即ち西太后はずしが行われたり西太后のク−デタ−があったり、義和団の乱があったりであります。先の479万円の支出の決定は義和団事件(北清事変)の解決のため列強の一員として参加した日本に対して賠償分配金3,479万海関両が6月に支払われた直後の事でありました。即ち日清戦争でも朝鮮の防穀令問題でも、北清事変でも、背景にそれなりの武力を備えていれば列強がやっているようにそれなりに金になったり、領土になったりするものだという実感が徐々に湧いて来ている状態だと思えます。結果として国を挙げてますます軍備拡張路線を突っ走りますが、国のトップが狂っているのだから誰にも止められません。

1903年11月、ロシアが満州を占領したのを口実に日露戦争を行う事になりますがその時確かにロシアから南樺太(租借権)を取り上げましたが、大半は清韓に関することであります。即ち日本による韓国の保護の承認、遼東租借権、満鉄を獲得しました。この遼東半島及び満鉄を足場として満州、その後の北支経営に乗り出していくのであります。

1912年2月に宣統帝が退位して、清朝は滅亡しました。その後袁世凱中華民国の初代大統領となります。1913年10月に、この政府と満蒙5鉄道に関する協定に調印し、敷設権を獲得いたしました。さらに1915年5月に同政府に対華21ヶ条の要求を受諾させましたが、袁世凱は1916年6月に帝政に反対が出て憤死、黎元洪が大統領となります。

かくして満鉄の業務を着々と拡大し、1917年9月には朝鮮鉄道の経営を満鉄に委任した上で関東都督に満鉄業務を勅令により統括せしめたのであります。このようにして日本は北支に利権を拡張していくのであります。1918年3月寺内内閣が閣議で日中陸海軍共同防敵軍事協定締結方針を決定し、その9月には中国から満州鉱山の採掘権を獲得しています。又山東2鉄道借款・満蒙4鉄道借款の予備契約を行っています。この頃までは、中国の一般大衆はともかく政府とは結構旨く行っていて、日本としてもそんなに悪い事をしているようでも有りませんが、翌年11月には福州で学生デモが起り排日運動をされております。
ところが、1922年7月に至って加藤内閣が閣議で、中国の中央政府・地方政府に日本の現役の軍人を顧問として採用せしめるという事を決定したとあっては、相変わらず相手の意見も聞かず問答無用という形の上の問題もありますが、その内容の悪さは大いに問題となってきたように思います。結果として、1923年には排日運動が激化します。その後は中国国民革命軍(蒋介石)と中国革命軍(毛沢東)の角逐があり、結局日本は国民革命軍と交渉を維持する事になります。

1931年9月に関東軍が柳条溝事件を引き起こし満州事変を起こします。この頃から日本は完全に悪くなりますが、早くもその陰に東条英機の姿が見え隠れしてくるのであります。政府は事変の不拡大方針の声明を出しますが、実際には足早にチチハル占領(11月)、錦州占領(1932年1月)、ハルビン占領(2月)とまるで事前にシナリオが有った様に事を運び、同時に上海に総攻撃をかけて脅し、3月には満州国の建国を宣言しました。(形を整える為に、執政は清朝廃帝である薄儀を充てました。)−−−(このシナリオの作成の背景に既に東条英機が居る事は確実です。)同月早速政府は満蒙政権の誘導方針を閣議決定しています。1933年にはこのような日本の行動を見た諸外国の一斉の反発を受けて日本は国際連盟を余儀なく脱退して、独善孤立の道を歩み続ける事になります。

然し乍ら、国際社会は、満州国という事実が出来てしまい、事実上そこに商取引の活発な国が存在すると、国益上それを認めないわけには行かなくなります。こうして満州国は主要国の認めるところとなりました。日本は然し、それではまだ満足していなかったのです。

これに先立つ事約9年、中国の国父として現在の中国、台湾の双方から尊敬を受けている孫文が国民党総理・中華民国陸海軍大元帥として1924年11月長崎を経由して神戸を訪れています。彼が11月28日に神戸高等女学校で行った長い演説は後年「大アジア主義」として知られるところとなります。このことに関し田所竹彦著の『孫文』から引用させていただきます。
【この演説会は神戸商工会議所や各新聞社など5団体が主催したもので、側近の戴季陶〔号は天仇〕が通訳し、約3千人の聴衆が集まった。演題は主催者から出されたものだが、当日は『大亜細亜問題』となっていた。当時の日本には、優勢な工業力と軍事力で迫る欧米の白色人種に屈することなく、日本が先頭に立って有色人種のアジア人がこれに対抗するという意味での大アジア主義を主張する動きがあった。これに対する孫文の見解を述べたのがこの演説である。日本語訳は、市販されている『孫文選集』〔伊地智善継・山口一郎監修。1985−1989年、社会思想社刊〕などにあるが、その要旨を紹介しておこう。
孫文はまず、アジアが世界の中でも古い文化を持つ地域であり、ここ数百年はヨ−ロッパ諸国の興隆とは逆に衰退した歴史を振り返り30年前(19世紀末)になって日本が外国との不平等条約廃棄に成功した事から転機が生まれた、としている。さらに、日露戦争での日本の勝利がアジア諸国を力づけ、エジプト、ペルシャ、トルコ、アフガニスタン、アラビア、インドなどの独立運動につながった、と述べている。こうした動きに対する欧米の反応を分析する中から、覇道と王道の対立という演説の基本テ−マが導き出される。つまり、ヨ−ロッパの文化こそが正義と人道に合致すると考える欧米人は、アジア諸民族の独立への動きを世界文化への反逆とみなし、黄禍論を唱える。しかし、目先の利益だけを求め、武器の発達に依存するヨーロッパの物質文明は、結局のところ覇道の文化に過ぎない、というのである。これに対して、アジアには武力ではなく道理と徳によって他を感化する王道の文化があり、功利と強権に頼る西洋の覇道文化は、やがては仁義と道徳の東洋の王道文化に服従する事になるだろう、と孫文は予言する。】

この演説で孫文が日本に対して言いたかったことは、(日本は覇道〔欧米式の帝国主義〕を捨てて、王道を貫き、干城となれ)という事に尽きると思います。これは欧米型の軍事力を整えつつあり、すでに朝鮮は併合し、日増しに中国にたいする干渉を強めていた日本に対する大いなる牽制であり、日本は覇道に走って欧米列強の如く他国を侵略してはいけない、寧ろ干城(他を助けるための城)となって王道を歩めよ、さもなくば“らしくない”事をして道を誤りますよ、という孫文の日本に対する心からの忠告だったと思います。昭和天皇の章でふれた如く、米国をまともな国に変え、その他の国に対して干城たることは、実は昭和天皇が求められていた事のように思います。

孫文の忠告の甲斐も無く、その後の歴史が示す通り、日本は誤った覇道に精を出すこととなり破局へと向かっていくのです。

話は変わりますが、日本にかの梅屋庄吉という中国びいきで、何とか中国と日本が争う事を避け平和を保とうとたゆまぬ努力をした人が居ました。彼は孫文、中華革命党、国民党、蒋介石はじめ国民政府首脳と時代を追って昵懇でありました。その庄吉が何とか中国側と日本陸軍との間を取り持とうとして、1932年(昭和7年)12月2日に陸軍側と会談を持っております。六興出版、「国父孫文梅屋庄吉」車田譲治著の文章を御紹介いたしましょう。

陸軍側は、荒木陸相参謀本部作戦課長・小幡敏四郎少将、それに編成動員課長である東条英機
庄吉は、まず孫文との交遊から説き起こし、中華革命党、国民党、蒋介石はじめ国民政府首脳との関係を、持参した写真、書簡などを示して、詳細に語った。
その上で、中国の政情、要人の人脈、利害関係を明かし、中国側の真意を知り、了解を求める工作の接点になろう、との決意を、庄吉は訴えたのである。
会談の当初、東条英機が拳を差し出しながら、「満州は、これで取ったのですぞ。チャンコロのいう事なんぞ聞けないなあ」と、冷笑する一幕もあったが‐‐‐。

著者は、上記の記載は事実であると思う。日本が満州を武力で奪い取った直後の事であり、先に触れた如く、東条英機がこの満州奪取のシナリオを描く段階から参画していた様子が伺われるものであります。

さて、その後日本は1936年初頭から華北5省を軍事力を背景に支配する工作に入りました。対する中国は当時国民政府と紅軍に割れていて集中した力を発揮できなかったのです。然し紅軍は第八路軍に改編(1937年8月)され徐々に力をつけてくる他方で、従来型の中国政府は転変し弱体化しました。1937年7月に蘆溝橋で日中両軍が衝突し支那事変が始まりました。その12月には日本軍は南京攻撃で南京を占領し大虐殺事件を引き起こしてしまいました。東条英機のチャンコロとあざける態度からは当然恐れられた帰結なのかもしれません。

その後日本軍は事実上中国を武力で制圧し1940年11月の御前会議で支那事変処理要綱を決定し、それに従って日華基本条約並びに日満華共同宣言を調印し、満州国を中国も含めて既成事実とし、日本の中国に対する支配を確立した上で、1941年9月の御前会議で「帝国国策遂行要綱」を決定し米英蘭との開戦を決意したのであります。

結局、長崎に2発目の原爆が投下される1945年8月9日の未明、約束を破ったソ連軍が満州樺太北朝鮮に進出する事により日本のよこしまな夢は孫文の予言通り敗れ去ったのであります。

この間3度組閣した近衛文麿は複数の声明を発し「(大)東亜新秩序建設」を謳っています。干城、即ち欧米の列強にいいようにされている大東亜の人々を日本が守っていくのだという事でありましょう。然し、近衛の実際にやった事は単なる侵略でありました。朝鮮の併合の場合と全く同じ事で、中国の人を人と見ない極めて身勝手な言い分で、一人日本人丈が良ければという考え方に基づいております。結局は、覇道に走り、近隣の諸国に多大の迷惑をかけた上で予想された如く、敗れ去ったのであります。ただこの間本当に悪かったのは誰か、日本人としても自ら戦争犯罪人を探さねばならないとなったら、それはまず東条英機でしょう。

戦後日本人が残していった孤児たちを育ててくれていた、中国の人たちの暖かさに、日本人はなんと答えればよいのでしょうか。自分たちだけの身勝手な夢を追い求めて近隣の国々を傷つけた私たち日本人は、この中国の人々になんと言ってお詫びすればよいのでしょうか。それこそ所謂1億総懺悔でありましょう。


太平洋戦争)

戦争前夜〕
1939年9月ヒットラ−のドイツ軍、ポ−ランド侵入。英仏、ドイツに宣戦布告し第2次世界大戦が勃発しました。政府は大東亜関連で南進の意図があるため、直ちに欧州戦争不介入と声明しました。1940年2月ハル米国務長官が日ソ両国に対して中立法不適用と発表いたしました。7月に「基本国策要綱」を閣議で決定いたしました。大東亜新秩序・国防国家の建設方針を決めました。大本営が政府の連絡会議で武力行使を含む南進政策を決定いたしました。9月に早速、日・仏印軍事協定を成立させました。同月ベルリンで日独伊3国同盟に調印いたしました。10月にはアメリカは、くず鉄の日本に対する禁輸処置を実施いたしました。1941年4月モスクワで日ソ中立条約に調印いたしました。同月ハル長官・野村大使が日米交渉を開始いたしました。7月アメリカは国内の日本資産の凍結令を公布いたしました。これにイギリス、フィリピン、蘭印も同調いたしました。日本軍が南部仏印へ進駐いたしました。日・仏印共同防衛議定書に調印いたしました。8月1日にアメリカは日本に対する石油の全面的な輸出禁止処置を講じました。9月に御前会議で「帝国国策遂行要綱」を決定いたしました。これは10月下旬をめどに米英蘭に対する戦争の準備を整えるというものでありました。11月1日に大本営政府連絡会議においてアメリカとの交渉期限は11月30日の深夜12時までと決定されました。即ちそれまでに交渉がまとまればよし、纏らない或いは決裂という事態になれば直ちに開戦という事であります。この会議には、東条(首相・陸相)、嶋田(海相)、杉山(参謀総長)、永野(軍令総長)、賀屋(蔵相)、東郷(外相)、塚田(参謀次長)らが出席いたしました。席上、永野軍令総長は「戦機は今、開戦後2年間については確実な成算が有りますが、3年以降については見通しが立ちません」といっています。

以上のように開戦前夜は双方で非常にあわただしい動きが見られます。日本は南進政策を決め、仏印方面を固める一方で、アメリカは日本を現在の「ならず者国家」よろしく資産を凍結したり経済封鎖をしたりして締め上げるのに躍起になっておりました。勿論日本にとって一番頭の痛かったのは石油でありましたが、これに関しましては当時海軍は1年半分程度の備蓄はしておりました。すなわち、当時日本の消費は年間400万KLのところ海軍の在庫は558万KLでした。開戦前後の西太平洋は米・英・蘭・ポ・日の所謂列強の利害が入り乱れておりましたが既に始まっている第2次世界大戦において敗れ去っている国も中には有り、実際上日本の進む先でアメリカ以外の抵抗は殆ど無い状態でありました。そんな中で日本は東条英機の下、石油のために愈々12月8日のアメリカとの開戦を迎えるのでありました。日本が米国との戦争で懸念の有った石油に関しましては蘭印(オランダ領インド、即ち現在のインドネシア)のスマトラパレンバンに油田があり年産470万KLの生産があり日本の消費をまかなえるものでありましたが、1940年5月に既にオランダがドイツに降伏していた関係で容易に手に入りました。

開戦〕

開戦直後は、マレ−半島の英領コタベル、タイ領シンゴラ、パタニ、ハワイ真珠湾のほか、台湾や仏印の基地から発信した陸海軍機によりフィリピンの米軍基地、マレ−半島各地、シンガポ−ルを爆撃し好調な出足でありました。結果的に1942年に入り1月にはマニラを占領し、2月にはシンガポ−ルを占領、3月にはバタビア、ラング−ン、ジャワ島、4月にはニュ−ギニア、バタ−ン半島、5月にはコレヒド−ル島と戦果は続いたのであります。

然し、これらの事が砂上の楼閣であった事が一瞬にして分かる時がその後直ちにやってくるのであります。

日本は海軍力には自信を持っていました。軍備増強にはこれまで積極的に手を打ってきましたし、なにしろ日本は航空母艦の発明者であったからです。即ち1920年に完成した鳳翔が世界初の空母でした。さらには又、世界最高性能の艦載機ゼロ戦の持ち主でもあります。処がちょっとした手違いで1942年6月5〜7日のミッドウェ−海戦では大敗を喫してしまったのです。このときの大敗は、艦載機が低空に降りて相手の艦隊を攻撃する時に上空にぽっかりと隙ができてそこから相手の航空機の攻撃を受けてほぼ全滅に近い痛手を負ってしまったのであります。即ち主力空母及び全艦載機を失い、完全に敗北したのであります。開戦前に永野軍令総長の言った2年はおろか、わずか半年でこの戦争は実質上敗北していたのであります。この海戦での損失は次の如くになります。

航空母艦: 加賀(38,200トン)、蒼龍(15,900トン)、赤城(36,500トン)、
     飛龍(17,300トン)
重巡洋艦: 三隈(9,500トン)、最上‐‐‐大破
艦載機:  285機全滅

然し、海戦その他におけるもっと大きな意味の敗因はこの敗北の如きちょっとした手違いだけの理由ではないらしいのです。例えば米軍は開戦前の1940年8月に既に日本の暗号の解読に成功しており、以降、日本軍の行動は米軍には筒抜けだったのでした。時期的には一寸下がりますが、1943年4月18日に山本五十六の乗った戦闘機が撃墜され山本は、戦死していますが、この場合も事前に山本機の情報が米側に漏れていたのです。又、視界の悪い時の海戦で威力を発揮するのはレ−ダ−の解像力ですが、米軍は1930年には高性能のレ−ダ−設備の開発に成功しており、今回の開戦時にはすでに、実戦配備されておりました。これらの事もこのミッドウェ−海戦では大きなウェイトを占めたように考えられます。それから、この海戦だけでなく全般的なことに関して言えば、軍上層部の徹底した石頭の官僚主義があったと指摘されております。即ち臨機応変の対応が出来なかったのであります。又、陸軍と海軍の反目は目を覆うばかりであり、最後まで協調体制は取れませんでした。この点に関し、安藤良雄編、原書房、「昭和史への証言」からの引用を次にお伝えいたします。
「すべてが欠陥だらけ。そのうちでも一番大きな欠陥は陸海軍のけんかですわ」
「三菱とか中島は陸軍と海軍、両方の飛行機をつくっているが、その同じ会社で陸軍の飛行機をつくっている技師と海軍の飛行機を研究している技師の交流をゆるさんのです。もう絶対秘密です。機材の融通もできない。たとえば同じ会社にニッケルがある程度あるけれど、それが陸軍で世話したニッケルだと、海軍の飛行機をつくるのに、そのニッケルが必要でも、やらんもんだから生産があがっていかないのです。」

元のミッドウェ−海戦に戻りますが、このときが大きな転機でした。即ちこのときにアメリカと講和を結ぶべきでした。相手のアメリカにしても、このミッドウェ−でこそたまさか勝ちましたが、まだこの時点では全般的な戦況は必ずしもよくは無く、話し合いのチャンスはあったはずです。

ただ、この太平洋戦争全般に関して言えば、本来なら負けるはずの無い戦争ではなかった
かと思います。要は、戦争の運び方が滅茶苦茶で、一つの思想の下に統一の取れた戦略になっていないのです。行き当たりばったりで一つ一つの事柄が深く考えられておらず、又それらを関連づけ統合する力に欠けているのです。結局東条英機が愚かな人物だったというところに帰結してしまうのでしょうか。

例えば作戦上でも支離滅裂がきわまるのはガダルカナルであると思います。ここにこだわってどれほどの戦力を陸海ともに消耗してしまった事でしょう。これは明らかに作戦上のミスであり、ここをやるなら最初から相当の戦力を投入して米軍の付け入る隙の無い一大要塞を築いておかなければならなかったのです。さもなくば全然手をつけない事でした。結局中途半端なことを重ねた挙句撤退するのですが、その決断も遅すぎました。結果、多くの犠牲者を出してしまったのです。

次頁に終戦までの戦費等に関する一覧表があります。戦争が進むに連れて物資が不足し物価が上昇する影響がもろに出ている点はあろうかと思いますが、年々着実にというより飛躍的に金額は増加していきます。いかにも官僚の好みそうな数字の経過であります。即ち如何に官僚的な無駄に満ちた戦い方をしてしまったかということです。 又、添付の地図は戦争も深まった1943年9月30日に決定されたという絶対国防圏であります。この範囲なら開戦直後に既に達成していた姿であり、前述しました如く、ミッドウェ−海戦の直後に講和していても、これくらいの範囲は守れたはずであります。この期に及んでこのようなものを策定するという事は、既に申し上げた如く、それまでの戦いがいかに杜撰だったかを如実に物語るものであります。戦争のはっきりとした目的と、

それを達成する方策といった戦略を欠いた闇雲な戦闘でありました。繰り返しになりますが、太平洋戦争なるものは本来半年で、即ちミッドウェ−海戦終了の時点で実質上終了していました。否、させねばならなかったのです。これを引きのばしてしまったのは東条をはじめとする戦時内閣や所謂大本営その他の罪であります。日本の国民に対する罪なのです。
例えばの話兵力についても開戦時と負け戦の続いていた1943年9月との比較で、装備が心もとなくなる中で、どうして人数だけがこれだけも増えているのでしょう。全く馬鹿げています。ミッドウェ−海戦直後の時点で戦争を終結しなかったために、開戦時の日本の人口は約1億5百万人でありましたが、この人たち全員に辛酸をなめさせてしまった罪は大きいのです。この1億5百万人全体の運命が完全に狂ってしまいました。

開戦時     ’43,9月 (単位万人)
陸  227     360
海   31      70
―――――――   ――――――
計  248     430

適切に手を打っていればその後起こったことは総てなかったでしょう。即ち;
1. ひめゆりの地を含む全沖縄で20万人もの人をむごい死に遭わせることは無かったでしょう。
2. 陸海軍人軍属とはいえ2百万人以上の人を死なせずにすみました。
3. 広島で20万人、長崎で8万人、人道に背く原爆で死に至らしめる事は無かったはずです。
4. 全国で、焼夷弾その他で20万人の人々を失いましたが、これも避けえられた事であります。
5. 学徒出陣などという狂った制度を採らずにすんだし、大西滝冶郎中将が考え出した特攻や、回天などという人間性に反逆する方策をとる必要も無かったのです。(これは9.11はじめアラブテロでまねされています。不名誉な事です。)
6. 国民は疎開の如く本来不必要な移動を実質的に強制される事はありませんでした。
7. 国民は全員、特高憲兵からの恐怖に対応する事も含めて、生活を変える事を強いられましたが、これも不要な事でした。
8. 外地でも、捕虜になった人たちを含めて30万人もの民間人を死に至らしめました。又、虚飾にあふれた大本営発表で国民を欺き通した罪も大きいものがあります。
9. 軍事優先の付けを国民に負わせ、国民に言うに言われぬ耐乏生活を強いた事も、全く無駄な事でした。

戦後の、第1回の議会で(1945年11月28日第89臨時帝国議会)で当時の陸相の下村定大将が、これまでの軍の不当な政治関与を泣きながら率直に詫びたがそれでは遅すぎるし、その程度のことで事は済む筈がないのであります。
大東亜新秩序に従い独立を勝ち得た国もあり(ビルマ、フィリピン等)、日本の治世も必ずしも悪くは無かったと言い張るやからも居るそうですが、朝鮮・中国のみならず1941年12月25日から4年間支配した香港でも日本の評判は悪いのです。これは英国が惜しまれながら去って言ったのと大きな違いです。
現実には東条以下は戦争を当てもなく継続したのは御承知の通りです。そのことにより上記に大雑把に9分類させていただいた如くに、国民に甚大な被害・損害或いは死・傷を与えました。特高憲兵を使い本当に非人間的なやり方で国民を愚弄しました。これらの罪が軽かろう筈はありません。従って以下に列挙する戦時内閣の閣僚は全員、国民の糾弾を受けるべきであります。中でも一番罪深いのは国内だけではなく海外の国々にも害を及ぼした東条英機であります。それがアメリカの謀略の一環なのかもしれませんが、日本国内でこの問題に関しきちんとしたけじめがつけられていないため、日本が今ひとつ国際舞台での発言権が弱く、北朝鮮あたりに付け込まれる隙を与えてしまっております。是非ともきちんとしたけじめをつけなければいけません。それでは次にこの罪深い戦時内閣の面々を列挙いたします。

東条英機内閣   1941.10.18.〜1944.7.18.
大  臣 人   名
総  理
外  務
内  務
大  蔵
陸  軍
海  軍
司  法
文  部
農  林
商  工
農  商
軍  需
逓  信
鉄  道
運輸通信
拓  務
大 東 亜
厚  生
国  務

書記官長
法制局長官 東条英機
東郷茂徳東条英機(兼務)、谷 正之、重光 葵
東条英機(兼務)、湯沢三千男、安藤紀三郎
賀屋興宣、石渡荘太郎
東条英機(兼務)
嶋田繁太郎、野村直邦
岩村通世
橋田邦彦、東条英機(兼務)、岡部長景
井野碩哉、山崎達之輔
岸 信介、東条英機(兼務)
山崎達之輔、内田信也
東条英機(兼務)
寺島 健(兼務)、八田嘉明(兼務)
寺島 健(兼務)、八田嘉明
八田嘉明(兼務)、五島慶太
東郷茂徳(兼務)、井野碩哉(兼務)
青木一男
小泉親彦
鈴木貞一、安藤紀三郎、青木一男、大麻唯男、後藤文夫、岸 信介、
藤原銀次郎
星野直樹
森山鋭一
(同一人物が兼務で無く複数回出ている場合には任期がずれています。)

小磯国昭内閣    1944.7.18.〜1945.4.7.
大   臣 人   名 大   臣 人   名
総   理
外   務
内   務
大   蔵
陸   軍
海   軍
司   法
文   部
農   商
軍   需 小磯国昭
重光 葵
大達茂雄
石渡荘太郎、津島寿一
杉山 元
米内光政
松坂広政
二宮治重、児玉秀雄
嶋田俊雄
藤原銀次郎、吉田 茂 運輸通信
大 東 亜
厚   生
国   務


書記官長


法制局長官 前田米蔵
重光 葵(兼務)
広瀬久忠、相川勝六
町田忠治、児玉秀雄、
緒方竹虎、小林躋造、
広瀬久忠、石渡荘太郎
三浦一雄(兼務)、田中武雄、
広瀬久忠(兼務)、石渡荘太郎(兼務)
三浦一雄

鈴木貫太郎内閣    1945.4.7.〜1945.8.15.
大   臣 人   名 大   臣 人   名
総   理
外   務

内   務
大   蔵
陸   軍
海   軍
司   法
文   部
農   商
軍   需 鈴木貫太郎
鈴木貫太郎(兼務)、
東郷茂徳
安部源基
広瀬豊作
阿南惟幾
米内光政
松坂広政
大田耕造
石黒忠篤
豊田貞次郎 運輸通信

運   輸
大 東 亜

厚   生
国   務

書記官長
法制局長官 豊田貞次郎(兼務)、
小日山直登
小日山直登
鈴木貫太郎(兼務)、
東郷茂徳(兼務)
岡田忠彦
下村 宏、桜井兵五郎、
左近司政三、安井藤治
迫水久常
村瀬直養



さらには問題の大本営ですが、その主たるメンバーは陸軍大臣海軍大臣、並びに参謀総長、及び軍令部総長であります。大臣は既にこれまでの一覧表に含まれておりますので、総長のみ次に記載いたします。
     年 参謀総長 軍令部総長
1941年(昭和16年)

1944年(昭和19年)

1945年(昭和20年)    杉山 元

2月 東条英機
7月 梅津美治郎    博恭王
4月 永野修身
2月 嶋田繁太郎
8月 及川古志郎
5月 豊田副武
申し上げておりますように、これらの人物も糾弾されねばなりません。




今度の戦争に関して、米国の責任が追及されていないのは全く片手落ちで理不尽な話であります。確かに朝鮮を併合し、中国に対して満州を足がかりに利権を拡大し侵略していく一方で、南太平洋における列強の利権を侵害しようとしていた日本ではありましたが、1941年11月30日の深夜12時まで日米開戦の決定を延ばしていたのは、問題の米国の対応を確認するためでありました。既に述べた如く、当時の日本のアキレス腱は石油でありました。1941年8月1日付の米国による石油の対日全面禁輸が非常に大きなインパクトでありました。瀬島龍三著、「幾山河」(扶桑社)から引用いたしましょう。
「確か、十月中旬であった。塚田参謀次長に随行して参内した帰途、車中で次長が『瀬島、油のために戦争せねばならんのかなあ』と苦渋に満ちた一言を漏らされた。私は『閣下、その通りですが‐‐‐』と答えるのがやっとだった」

朝鮮併合に対するに米国だって既に述べたように1897年6月に、それ以前に海兵隊でハワイ王朝を倒した上で、ハワイを併合しています。日本が中国に利権を持ったということに対しては、米国だってフィリピンを植民地化していたではありませんか。それを「ならず者国家」のような扱いで資産を凍結し、石油の全面禁輸を行って、日本を戦争に駆り立てたのは他ならぬ米国でありました。相手が無ければ当然のことながら戦争は成り立ちません。この点に関し、まず、米国の戦争責任を問いたいと思います。

次に、1942年6月5〜7日のミッドウェ−海戦で、曲がりなりにも米国は大勝いたしました。このときの日本側の被害の状況は米国側のつぶさに知るところであり、日本側が如何に重要な事態を招いているか判断できた筈であります。さらにはこの時点で既に欧州における米国の同盟国は総て事実上破綻していました。この時、日本側と講和すべく、何故米国は呼びかけを行わなかったのでしょう。白黒つけてチャンピオンシップを取ろうとするのは米国流のものの考え方らしいが、そんなやり方では決して平和を招く事は出来ません。このような国は一度どん底に落ちないと決して行動が改まりません。わが昭和天皇もその点を慮られたのでしょうが、21世紀の現在事実上米国はその希求していたチャンピオンシップを手にしているが、一体どこに平和があるのでしょうか。むしろ米国の存在そのものが地球の平和を乱す要因となっております。米国が無ければ地球はもっと平和であるように思います。9.11事件などは、この米国の日ごろの振る舞いから起こるべくして起ったのです。
更には、1942年10月26日の南太平洋海戦で米国はホ−ネットを失い、エンタ−プライズを損傷して太平洋上に空母を一隻も持たない状況に立ち至りました。このときも講和するチャンスでした。悪い米国は、このときも突っ張りました。日本の馬鹿さ加減に乗じて戦争を不当に継続したのであります。

挙句の果てにB29による焼夷弾の投下と艦載機による空襲を行い日本の非戦闘員を殺傷し日本の資産に甚大な損害を与えました。このことはロナルド・シェイファ−著の「アメリカの日本空襲にモラルはあったか」(草思社)でも取り上げられております。米国は、ブッシュ(父)の時に湾岸戦争をやり、ブッシュ(息子)の時にアフガニスタンをやりました。この親子は本質的に何の違いも無く極めて好戦的であります。しかも今度はイラクをやろうとしております。彼らがやったこれらの戦闘(前回のイラクを含む)においてさえ一部誤爆はありましたが基本的に非戦闘員即ち一般市民には攻撃しませんでした。何故、日本だけは例外にしたのでしょうか。米国は、日本において非戦闘員を大量に殺傷した事に対してどのように責任をとるのですか。

沖縄の地上戦で残虐且つ過酷な戦闘を強いて20万人もの命を奪った罪を米国は贖わなければなりません。日本としては、この戦争に関しては、決して米国を許せません。ひめゆりの地を米国民は決して忘れる事を許されません。(真珠湾については結果として奇襲となってしまった形ですが、日本はここを徹底的には攻撃していません。この辺が日本人の王道的一面ですが、良い悪いの議論を離れて、戦局だけの議論をする場合、完全な作戦上の失敗です。真珠湾は占領するくらい徹底的に叩いておくべきだったでしょう。)

さらに問題は人道に反する原爆の投下であります。原爆は既に何度か述べている通り、天の神様が最も嫌われる言わばサタンの武器であります。従って、これを落としたトル−マン大統領はサタンであります。しかも広島と長崎、2度にわたって投下しています。勿論夫々が甚大な被害を及ぼしているわけですが、それが故に心理的効果を狙うのであれば、1発で十分だったはずで、こんな非人道的な行為を2度も行う事をどうして誰も止めなかったのでしょう。ましてや、長崎に投下された「ファットマン」には「A second kiss for Hirohito」(裕仁への二つ目のキス)とかかれておりこれは昭和天皇が天の神様に選ばれたタイタスカンである事を承知しているサタンの仕業と思われます。即ち天の神様への挑戦であります。ここに1968年(昭和43年)3月29日刊の週刊読売“日本空襲の全貌”に掲載されている、シャンソン歌手、丸山明宏さんの『原爆の町をハダシで駆ける』と言う一文を転載させていただきます。

長崎市内の馬町に住んでいたぼくは、原爆の日、宿題の絵を描いていた。日本晴れで、警戒警報も鳴らない平和な日であった。―――突然、目の前にマグネシウムをたいたような光が流れ、さあっと暗くなった。『雷かな?』と思った一瞬、世の中の音という音、すべてが止まったようにシ―ンとなり、つぎの瞬間、百個分の雷が落ちたような爆音、続いてけたたましい空襲警報の音を聞いた。気がついたとき、6は舟大工町にある大きな壕に向かって、女中さんと走っていた。防空ズキンはかぶっていたが、ハダシである。途中でなにかの下敷きになっている女の人がいた。その女の人の手をだれかが引っ張っていたが、突然、女の髪から火を吹いたのを覚えている。だれかがぼくの腕をつかんだ。『きゃあ−っ!!』と叫んでその手をふりほどくと、僕の腕には、人間の肉片と皮がベッタリとついていた。やっと壕にたどりついたとき、中は―――もう地獄絵図というよりほかに言葉はない。お乳を丸出しにした女、気の狂っている男、片手のない老人、顔のつぶれた子供―――。やっと解除になって、ぼくはとりあえず家に帰った。その途中、女が『自殺させてください』と叫んでいる。『おぶっていた子供をおろしたら、頭がなくて胴だけなんです。戦地に言っている夫に申しわけない。私も殺してください』―――彼女は首なし子をかかえて血まみれであった。―――ぼくは、最近まで、悪性貧血で悩まされていた。突然、フ−ッときが遠くなり、失神してしまう。ぼくは、長崎原爆の日から人生観が変わってしまった。あした死んでも後悔しないように生きていこう―――と。もし、日本に戦争を起こそうという人が居るのなら、ぼくはその人たちをまとめて毒殺しようと真剣に考える。おじ、おば、いとこたち、多勢の友人たちを失ったぼくは、人間を殺すことなど平気である。戦争を阻止するためには―――。」

トル−マン大統領以下エノラゲイの乗組員一同はみな犯罪者であります。戦争犯罪人と呼ぶに値しないただの凶悪な犯罪者であります。何れにせよ、この様な事をしてしまった米国民は日本国民に対してどのような償いをして詫びるのでしょうか。核兵器は勿論廃絶されなければなりませんし、米軍の基地は世界中から撤退されねばなりません。それよりも何よりもまず米国民の物の考え方が変わらねばなりません。

そのほかに、極東国際軍事裁判関連の問題もあります。A級戦犯(侵略戦争の計画、実行の共同謀議に参加した者)と言う事であれば、つとに有名な1941年12月1日の御前会議でありその出席者がまず引っ掛かると言う事になります。このときの御前会議には政府側からは全閣僚が出席しておりこれに大本営側が加わっていました。それでは、A級戦犯として断罪され絞首刑となった東条英機だけは納得がいきますが、松井石根土肥原賢二板垣征四郎木村兵太郎広田弘毅武藤章は一体なんだったのでしょうか。その他BC級戦犯として53名が巣鴨で処刑されております。これらを含め海外の法廷49ヶ所(+横浜)で杜撰な審理をし杜撰な判決を出し、結果、多くの人が冤罪で命を奪われたと聞き及んでおります。これらの人々の名誉回復を米国はじめ当時の連合国側の国々はどのように行うのでしょうか。

いずれにしても、日本の政府はこの面の活動は全くだめなので、別途、米国の日本に対する戦争責任を明確にし、米国にそれなりに人としての行動を取らせるように促す事を目的とした、国際的な活動組織を作る必要があります。

天の神様

天の神様

序文)

他の神々様と区別する為に私達は宇宙そのものを作られた宇宙最高の創造神、万能の神様の事を“天の神様”と特別にお呼びしている。私達を含む宇宙は元々この神様によって創造され、この神様とは切っても切れないご縁がある筈であるのに、私達地球に住む人間はこの天の神様の事をちっとも分かっていない。非常に不思議且つ残念な事であります。私も、天の神様の事を完全に信じる身ではありますが、天の神様のことを何もかも知っている訳では有りません。正直、極一部しか知りません。ですが、その私の知る範囲で天の神様のご説明をし、地球の皆様に天の神様に関してより深いご理解を得て頂ければ良いな−と考え、本書を認める事と致しました。

皆さんは15年ほど前にあったオーム真理教の事件を覚えておられると思いますが、その事件の時、彼等同教団関係者はマインドコントロ−ルされているとよく言ったものですが、私達通常の地球人は一体どうでしょうか。私達も矢張り「現代」と言う怪物にマインドコントロ−ルされているのです。ですから、本当の事を教えられても、誤った常識その他の束縛から逃れられず、どうしても真実が見えなくなってしまっているのです。真実を告げられても、何か身を引くような感じになり、折角真実を教えてくれている人に対し、「その事は人前で言わない方がいい」と、逆に変な忠告までしてしまう有様です。ですから、「現代」からは、真実がどんどん遠くなってしまうのです。昔は、地球と天の神様の間が極めて近い時代もあったのです。時の流れは恐ろしいものです。今ではまるでお互いに無縁であるかの如き状態にまでなってしまっております。

それでは、皆さんの信奉する「現代」の何が問題なのか簡単にご説明致します。私たちが造り、住む「現代」は根本から歪んでいます。救いようがないのです。例えばまずエネルギーの問題を論じましょう。天の神様はこの宇宙に在り余るエネルギーを放出して居られます。勿論その広大なエネルギーは地球の周りにも届いております。それを取り込むちょっとした技術さえあれば、最早地球にはエネルギー問題は存在しなくなります。所謂「資源」を求めて地球を掘り歩く馬鹿な事は一切不要な事なのです。元々、宇宙から神々はじめ皆さんが、「富山」に越して来られた時には地球はこの宇宙の広大なエネルギーと結びついておりました。当然水晶のベル即ち俗にいうUFOも地球に持ち込まれておりました。と言うより神々様その他宇宙から来られた人々は元々UFOに乗って来られたのです。資源を求める必要は無いわけですから、国の境界線を巡る争いもないのです。

人間は霊的な高さを求め永遠に進化していく生命体であり、既に宇宙の方々は地球人より高いレベルで生活されております。人間は霊的なレベルが高くなると争いごとを普段は行いません。否、そんな考え方が一切脳裏に浮かばないのです。そして天の神様を忖度すれば、自分の霊的レベルがまだまだ低い事が明らかですから、我を通す理由が有りません。そうすると謙虚になり「国権の発動」などと馬鹿げた、且つ誤った物の考え方は出来なくなります。従って、軍隊の如き不要なものは無くなります。元々最初に宇宙から越して来られた方々がお造りになった社会には軍備は一切ありません。全く必要が無いからです。

只、例外的に、天の神様がサタンと戦われる場合が有りますが、それはケチな武力など何の意味もなく、高度な霊力の戦いとなります。

「現代」社会が歪んでいる例を挙げるのにいとまが有りませんが、最悪なのは(原子力)です。これはサタンの開発したもので、広島・長崎に投下された原子爆弾は現象的には米国が投下した物ですが、実態はトルーマンと言うサタンが、エノラゲイを使用し、天の神様の地球代表である「昭和天皇」に対し投下した物であります。平和利用と言いますが、核のゴミの処理も出来ないで、何が平和利用ですか。こんなサタンの考えだした物からはきれいさっぱり速やかにさよならしなければなりませんでした。

更にソフト面で「現代」社会を蝕み歪めているのは「宗教」です。宗教は総て根拠のない捏造ですが、中でも日本の社会にとって一番ひどいのは「仏教」です。何も根拠が無いのに、とんでもなく「現代」社会に浸透してしまっています。今も赤十字北朝鮮から「遺骨」を買い取るのだとか、本当に馬鹿げたことをやって居ります。

即ち「現代」社会とは、完全に狂った社会なのです。残念ながら私たちの力ではこんなものしか作れませんでした。天の神様はサタンと戦い、地球を奪還し、この度これをUPGRADEする事とされました。その問題が本書のTHEMEです。

新しい地球は宇宙から「アルス」と呼ばれますが、本当に綺麗な地球が出現する筈です。
天の神様)

天の神様は、この宇宙が出来る前からこの世に居られます。天の神様の場合、そのご家族が増えるに当たって、奥様が妊娠されるとか言う事もなく、十分に大きくなったご自身の魂が分裂する形でお子様がおできになります。一番目のお子様はサナンダ様と申します。男性で地球ではキリスト様として知られています。次の方も男性でお名前をLucifer(ルシファ−)様と申します。この方は、天の神様の片腕でしたが、その支配されている火星と木星との間にあった遊星「Lucifer」に於いて核実験を行い、その結果ルシファ−は消滅したのです。日本の小惑星探査機「はやぶさ」が探査した小惑星「いとかわ」と呼ばれる火星と木星の間にある物体は、消滅した「宵の明星」ルシファ−の残骸なのです。日本では「いとかわ」との接触に対し、快挙だとか言われており、宇宙発生の謎に迫るものだとか言っておりますが、全くの処、馬鹿げた話です。天の神様のご家族にはもう一方居られます。お名前をカミラさまといい、女の神様です。サナンダ様も宇宙が出来る前から、天の神様とご一緒にこの世に居られたのですが、現在は、天の神様、サナンダ様、カミラ様のお3方は金星にお住まいになっておられます。ルシファ−様は行方知れずであります。

天の神様は、業務全般を統率されております。また、何れも霊的に非常に高い神々様ではありますが、天の神様におできになって、サナンダ様にはおできにならない事があるようです。例えば単純な例ですが、金星から地球に来られるのに、天の神様はご自分で何の助けも借りずに地球に降り立たれます、一方、サナンダ様は水晶のベル、即ち俗に言うUFOに乗って来られます。サナンダ様は各遊星に配置されたワンダラ−の統率にAZとして活動されております。ワンダラ−と申しますのは、例えば地球で儀式が行われる場合に、儀式が滞りなく行われるように、前以って他の遊星(例えば冥王星)から、霊的レベルの高い人を地球人として生まれさせ、これをワンダラ−と呼び、地上で儀式を完遂するのであります。何故、そんなまどろこしい事を―――、とお考えになるのは無理からぬ事でありますが、宇宙には「地の事は、地で行う」と言う鉄則があり、他の遊星の干渉は許されないのです。ただ、地の人々の霊的レベルでは使命が完遂出来ない為、便法を取っているのです。例えば、2千年前に地球人として地球に生まれ・育たれたキリスト様(サナンダ様)の12使徒は、偶然に地上で出会ったが如き話になっておりますが、彼等は皆、ワンダラ−として地球に事前に手配されていた人々であります。そうでなければ群がる病人を、影を踏ませるだけで治したり、色んな奇跡を、幾らキリストと言う偉大な神と一緒だからといって、出来る訳が有りません。サナンダ様は又宇宙の万物の統括神でもあります。

東京大学出版会大河内一男による「宇宙」に、金星が宇宙の中心であると記載されております。太陽系の遊星は皆時計回りに廻っていますが、金星丈は逆に廻っています。質の悪い地球の科学によれば、太陽は燃え上がっているように思われておりますが、本当は外見上は普通の遊星と遜色はなく、通常の冷えた天体なのです。全く光っていません。只、大量に電磁波を出しています。この電磁波は各遊星の大気と遭遇すると光ります。ですから、金星でも大気は地球と大差無いのです。金星には天の神様ご一族以外にも霊的に極めて高い方々がお住まいになっております。例えば、地球でのお勤めを終えられた、昭和天皇ご夫妻様その他、あああの方もか、と言う状況であります。又、神様のお席として24名の方々が控えておられ、平成天皇も神様のお席の出身者です。そして、私達地球人に、多くの天の情報を下さった「宇宙からの黙示録」の著者の渡邊大起様は現在この神様のお席に居られ、宇宙では現在「レラン様」と呼ばれておられます。金星と地球の間の距離ですが、地球の科学者達は光速がどうのこうのだから、非常に時間の掛かるようなことを言いますが、実際には10分です。事ほど左様に宇宙には地球のレベルを遥かに超えた科学があるのです。例えば、太陽系にしても、私達は、「水、金、地、火、木、土、―――」とやらかしますが、実は水星よりも内側、即ち太陽よりに太陽系の遊星がもう二つあることを解明できていないのです。「天、海、冥」の外にも、太陽系の遊星がもう一つあることも解明できていません。

私達は学童の頃、聖徳太子の話を聞いた事があります。7人の人間が聖徳太子に一度に話しかけたのに対し、太子は全員に回答したと言う話です。私は良く、天の神様、サナンダ様にお祈りをします。お願い事をします。いつも瞬時に問題が解決します。天の神様、並びにサナンダ様はこの広い宇宙にあってたったお二人です。同時刻に私の様に天の神様、サナンダ様にお祈りをして、お願い事をしている人は全宇宙では時として億に喃々とする数に達するものと思われます。それにも拘らず平気で私に瞬時に処方して下さるのです。天の神様、サナンダ様のお力には、全くの話、底知れぬものを感じます。私は「天啓」を何度も受けています。そして、数々の病気を治して頂いております。今日私が生き続けていること自体、奇跡です。天の神様、サナンダ様と心が通う為には一つの重要な前提があります。それは天の神様、サナンダ様を深く信じる事です。そして深い「愛」が天の神様、サナンダ様の「霊感」を伝え易い場を作ります。天の神様に願い事をする時には、天の神様が御業を振るいやすいように、困っていて治して欲しい事柄の内容を正確にお伝えする事が肝要です。

天の神様は地球に降りられるときは必ず日本の地に下りられます。他の地域には絶対に下りられません。このことの理由は特にお聞きしていませんが、私の推測する処、地球には天の神様自らが選んで送り出した天皇陛下が地球を統括する王として、日本に地球人としておられる。「地のことは地に任せる」という宇宙の鉄則に従って、地球の事は天皇陛下にお任せになっている事がその理由ではないかと思います。

この事は直接天の神様からは離れますが、宇宙には4大法則があります。それは「愛」----何事も愛が基本になる、「調和」----物事調和が非常に重要である、「万物一体」----この宇宙に存在する総ての物質は一つの物質から出来ている。このことに関しても私は具体的にこれだと言う風な説明は受けておりませんが、恐らく物質の根源は光のエネルギー、即ちhνで有ると思います。ですから、人間の体はカルマが解ければ黄金に輝くと言われております、「自然」----何事も自然に執り行う事、これらが宇宙の4大法則です。ここでお気付きになると思いますが、能動的に何かを行うと言う場合に対応する法則が無いように思われます。そうなんです、実は行動に関するモチベーションは総て「愛」なんです。「愛」の力は私たちが考えているより遥かに大きいのです。

天皇陛下

天皇陛下の役割について、日本に居乍ら分かっていない人が多いのではないでしょうか。私もその一人で、かっては極端な時には、天皇陛下って要らないのではないかなんて、大変不敬な事を考えたりもしました。日本に在って、日本人で、天皇陛下のお役割がはっきりと説明できるお方は居られないのではないでしょうか。天では1977年1月30日に「カアハミテスの儀式」が行われております。これは『新しい世を統べられる王(きみ)を奉戴する儀式』であり、神様のお席の方であった平成天皇が新しい世界を統括する王、その位に就かれたのであります。この事は、地球の新しい時代に於いては極めて重要な意味合いを帯びてくるものでありますが、例えば、天皇陛下の現下のお役割はと申しますと、地球は半生命体であり、その上に人が乗ると、霊的に極めて高い人(天皇陛下)が乗っておられないと正常な運行が出来ないのです。ですから、地球上に人類が現れた時からずっと、天の神様は地球、即ち、日本に天皇陛下を送り続けておられるのであります。過去には、天照大神天皇として日本に在位された事もありました。天皇陛下はこの地上にあって、霊的には一の人であり、地球上に天皇陛下以上に霊的に高い人は居られません。エリザベス女王はただの人です。地球上で霊的に高いのは日本の皇族だけです。天皇陛下は、古い時代にそうであったように地球上に君臨する「タイタスカン」(王の王)として、新しい「アルス」の時代の地球ではその役割が甦られると思います。地球は長い間、宇宙に於いて、仲間はずれにされており、その時の呼称は「サラス」でありました。今新たに明仁天皇(平成天皇)を冠して、地球は「アルス」の地となり、鏐球王国として生まれ変わり、地軸の変動と共に宇宙とのお付き合いが再開されます。勿論、新しい地球「アルス」或いは、鏐球王国のタイタスカン明仁天皇であります。地球を統べられます。ただし次に述べます、「地軸の変動」後のタイタスカンは進化した新しい肉体を持っている必要がありますので、明仁天皇ではありません。

地軸の変動)

私たちの宇宙は、天の神様、並びにサナンダ様の並々ならぬ愛を受けて、永遠の進化への道を歩んでおります。この永遠の進化への道に於いて、私たちの地球だけは例外でした。かって6回も永遠の進化への道が開かれていたのですが、何れも脱皮に失敗し、宇宙のはぐれ物になってしまっていたのです。従って、広い宇宙にあって地球だけは進化が止まってしまっておりました。私達の肉体も古いままです。宇宙の他の遊星では、既に肉体は進化しており、現在の地球人の肉体より密度が3倍程度高く、固有の周波数も極めて高いのです。この肉体は最早一切の病気には無縁です。処が、天の神様やサナンダ様の指揮を受けて長い時間と打ち続く戦いを経てワンダラ−やオイカイワタチ(日本に生まれた特命を受けたワンダラ−)が、サタンから地球を奪回する事に7度目でやっと成功したのです。この結果、地球はやっと次の段階に進化することが確定したのです。そこでラタカルタ(愛)の位置に地軸が大きく変動いたします。その際に地上に新しく生まれてくる人類は前述の他の遊星におけると同じに新しい進化した肉体を持っております。今度、地軸の変動が起きた場合、新しいアルス(地球)の周波数は極めて高くなり、進化した肉体を持つものしかその中では生きられません。

扨て、ここで皆さん宇宙の鉄則を思い出してください。即ちその遊星の事はその遊星の人が実行しなくてはなりません。処が私たちの肉体ではアルスの地では生きていけません。と言う事は、? ?、そうです天の神様は、新しい地球人に進化した肉体を既に用意しておられるのです。即ち、密度が現在の人類のものの3倍で固有の周波数が極めて高い進化した人類です。処が、進化した人類が生まれたとして、直ちに独力で、新しいアルスで生活して行ける訳では有りません。この子が有る程度の年になり、親となり子を育てるくらいのところまでは、現状の地上で成長していないとならないでしょう。そうしないと新しいアルス上で、この新しい人類だけで生活していく事はおぼつかないのです。皆さん、では実感としてどう考えられますか。私は、進化した赤ちゃんがこの現在の地上に生れ落ちてから、30年の歳月が必要であると考えています。

では一体何時、その進化した赤ちゃんがこの地上に生み落とされるのでしょうか。総ての事は天の神様の胸の内に有ると言いますが、私はその時期は極めて近いと考えております。昨日・今日・明日にも進化した赤ちゃんはこの地上に生まれてくるものと考えております。もう生まれているかも知れません。さすれば、地軸の変動は約30年後と言う事になります。即ち、我々のほぼ総てが古い肉体を持っており、その人達は、地軸の変動の直前に天の神様差し回しの水晶のベル、即ち、所謂、UFOに、肉体を脱ぎ捨てて、魂として乗船するのです。僅かな数の進化した肉体を持つ新人類は、肉体のまま、UFOに乗り、地軸の変動の為の大災害を避けて、夫々指定の遊星に避難し、そこから地球の大変動を見届ける事になります。そして、やがて地球の混乱が収まった時に、再びUFOに乗り、或いは魂として、はたまた肉体のままアルスに戻って来るのです。

そして、希望に満ちた、永遠に進化を続けるアルスでの生活が始まるのです。肉体のまま戻った人々は、早速、アルスの地上で生活を営み、魂で戻った私たちは、新たに生まれてくる赤ちゃんとなって再びアルスの地上に生を享けるのです。新しいアルスでの生活は永遠の進化の過程にあり、現在のように20年間も続く閉塞感が支配する世の中とは全然違うとは確信いたしますが、残念乍ら、新しいアルスでどのように生活するのかは聞き及んで居らず、只、貨幣経済ではない、と言う事、自由に遊星間旅行が出来ると言う事、私心の無い奉仕の世界としか聞いていません。今日の地球は全くの出鱈目で問題ばかりですから、その事を考えれば、現状より悪い生活と言うのは考えられない事かもしれません。

扨て、問題の約30年ですが、皇室の状況はどうでしょう。この様な場合も天の神様は当然、皇室の事を先ずお考えになると思います。取り敢えず、進化した新人類の対象になりうるのは、愛子様悠仁様丈です。このあとおできになる可能性はまったく有りません。となると、どちらかが既に新人類でいらっしゃるのではないかというごく自然な疑問に到達いたします。天皇陛下が新しいアルスの地上に乗っておられないと言う事は絶対に考えられません。明仁天皇も、皇太子様も古い肉体をお持ちでアルスでは生活が出来ません。ですから、消去法で行くと愛子様悠仁様が必ず新人類で無ければならないのです。私は天の神様の手厚い手法から考えて、当然、愛子様悠仁様、お二方とも既に進化した肉体を持つ新人類であらせられると考えています。そうでないと理論上新しいアルスの地に天皇陛下がおられないと言う、ありえない結果を招きます。仮に密度が3倍になったとしても、体の比重は殆ど気付かない程度の差しか生じません。従って、仮に愛子様悠仁様がそうであっても、その事に気付く人は先ず居られないでしょう。病気をしない元気なお子様であると言う事で話は終わってしまうでしょう。因みに、愛子様のお生まれは2001.12.1であり、悠仁様のお生まれは2006.9.6です。

この問題を、こうして、実は一番大切な皇室を機軸に考えると約30年説は俄かに現実味を帯びてきます。ですから、先に述べた約30年説は冗談ではないのです。もし愛子様がお生まれになってから30年と考えますと、あと22年しか有りません。即ち、現在のこの世の中があと22年で消滅してしまうのですよ!天の神様が時期について明示されないのは、明示した場合、そのとたんに地上は大パニックに陥るからでしょう。ですから、ある日突然、天空狭しとUFO或いは宇宙船が一杯になり、初めて大多数の人々が異変に気付き大騒ぎになる、と言った事が考えられますが、この世は一体何時までパニックなしに正常に機能し続けるのでしょう。ひとたびパニックが起これば地上の機能はすべてマヒしてしまいます。

ここでちょっと余談に入りましょう。雅子様のお話ですが、あれほど霊的に高いお方が病弱な面がおありになると言う事で大変不思議に思う人が居られると思います。これまでの話から、この謎解きは簡単なのではないでしょうか。雅子様は元々居られた金星では既に進化した肉体で生活されておられました。地球に来られて、はるかに遅れた肉体をまとうしか方法が無いのです。ですから、不本意にもご病気に繋がる、と言う結果であります。このことに就いては小和田家の遺伝的に病弱な部分の指摘がありますが、その点も全く無縁ではないかもしれません。

新しい地球の地政学的な大まかな状況に就きましては「宇宙からの黙示録」に記載がありますので、それを転載させて頂きます。
「エジプトの地は新しくなるでしょう。砂漠には花が咲き、葡萄は谷に実るでしょう。ピラミッドはもはや死の鋳型ではなくなるでしょう。
蓮の花が再び咲くでしょう。蓮の花の咲く土地とは、三度も海中に沈んだ大陸(レムリア大陸)を意味していますが、ひとたび深淵の憤激(大変動)の中に投げ入れられると、それは新しい体系の肥沃な陸地として、黎明にその栄光をもって隆起するのです。−−−
大西洋においては、海底の隆起は海岸線の沈下をきたすことでしょう。たった三つの山の頂が大西洋の島として残るでしょう。隆起した陸地の特徴は、東洋の新しい山脈のようになるでしょう。ゴツゴツしたその地形は、ヒマラヤ山脈のようでしょう。最高峰は、5400メ−トルとなるでしょう。新たに陸地となったところには古代の都市が現れ、山脈の端は赤道にまで至るでしょう。
イギリスの地はもはや見あたらず、フランスは大西洋の底になるでしょう。大ロシアの地は、現在の黒海が拡大して、地中海と一つになった海となってしまうでしょう。−−−
沖縄のひめゆりの地は新しい地球・鏐球王国の霊的中心の地となり、地球が新しく生まれ変わると共にこの地は、新しくできる富士山の湧玉の池となるのである。」
即ち、新しい地球、アルス、或いは、鏐球王国は地政学的にも、現在の地球、古くはサラスとは全然違うのです。英国、フランス、それにロシアの一部の人たちは帰るべき土地がなくなってしまうのです。やれ北朝鮮がどうのこうの、イランがけしからん、中国の脅威は、云々、総てが消えてしまうのです。核戦争の脅威ももはやありません。

ここで一つ重要な点に触れておきたいと思います。その日はやってきます。天の神様の慮りで、私達古い肉体を身に着けている者達には、それとなくその肉体を脱ぐ気にさせて頂きます。即ち、俗に言う「死」です。そして、指定された宇宙船(水晶のベル、UFO)の指定された席に魂で座ります。また進化した肉体を持っている人々は、肉体のまま、指定された宇宙船の指定された席に座ります。こうして、これから大変動の起きるアルスの地から指定された遊星に退避するのです。驚く事に、この宇宙船の指定席は、天の神様御自ら一人一人の分をお決めになっているのです。現下の私達の最大の課題は一人残らず指定された宇宙船に間違いなく乗船する事です。

こうして、私達アルス人は夫々に、指定された遊星から、アルスの大変動を観察するのです。アルスの大変動が終わり、水が引き、平常の状態に戻るまで相当の時間が必要でしょう。そして平常に戻った事を確認して、私達アルス人は或いは肉体で、はたまた、魂で、再び宇宙船に乗ってアルスに帰還するのです。そしてアルスでの私たちの新しい生活が始まるのです。それは先にも述べられた如く、貨幣経済ではなく、私心の無い清潔な奉仕の世界で永遠の進化へと続きます。時には、他の遊星に旅行致します。

肉体は何度か滅びるでしょうが、人間の魂は永遠です。サラスの地では艱難辛苦と格闘し霊的に高めるのが仕事でしたが、アルスでは心の礼儀、即ち、節度・忍耐・敬虔を守って、これから先、不滅の永い生活をエンジョイして下さい。新しいアルスの地では色々と旧知の方々と形を変えて再会するでしょう。きっと楽しい生活が待っていると思います。また、英国、フランス、ロシアの一部で帰るべき土地がなくなった人の問題、他方、レムリア大陸(ム−大陸)、大西洋の大陸等新たな大地が現れここにどう人々を配置するのかという問題、さらに現状の地では中国・インドの人口の膨張の問題等、種々の問題を新たなアルスではどのように解決なさるのか、天の神様・サナンダ様のお手並みが見ものであります。そうこうして2千年もすれば、皆さん神になられるでしょう。

本書は、2009年の執筆です。ですから愛子さま基準で後19年、悠仁さま基準で後24年と言う事にはなります。(2012.8.7)

太平洋戦争)その10終戦へ〕その2

大本営ーーー陸軍大臣海軍大臣は閣僚名簿にあるので割愛いたします。
ーーーー年ーーーー 参謀総長ーーー軍令部総長
1941年(昭和16年)ーーー杉山元ーーーー博恭王
ーーーーーーーーーーーーーーーーー4月 永野修身
1944年(昭和19年)ー2月 東条英機ーー2月 嶋田繁太郎
ーーーーーーーーー7月 梅津美治郎ー8月 及川古志郎
1945年(昭和20年)ーーーーーーーーー5月 豊田副武
申し上げておりますように、これらの人物も糾弾されねばなりません。

今度の戦争に関して、米国の責任が追及されていないのは全く片手落ちで理不尽な話であります。確かに朝鮮を併合し、中国に対して満州を足がかりに利権を拡大し侵略していく一方で、南太平洋における列強の利権を侵害しようとしていた日本ではありましたが、1941年11月30日の深夜12時まで日米開戦の決定を延ばしていたのは、問題の米国の対応を確認する為でありました。既に述べた如く、当時の日本のアキレス腱は石油でありました。1941年8月1日付の米国による石油の対日全面禁輸が非常に大きなインパクトでありました。瀬島龍三著、「幾山河」(扶桑社)から引用いたしましょう。
「確か、十月中旬であった。塚田参謀次長に随行して参内した帰途、車中で次長が『瀬島、油のために戦争せねばならんのかなあ』と苦渋に満ちた一言を漏らされた。私は『閣下、その通りですがーーー』と答えるのがやっとだった。」

朝鮮併合に対するに米国だって既に述べたように1897年6月に、それ以前に海兵隊でハワイ王朝を倒した上で、ハワイを併合しています。日本が中国に利権を持ったということに対しては、米国だってフィリピンを植民地化していたではありませんか。それを「ならず者国家」のような扱いで資産を凍結し、石油の全面禁輸を行って、日本を戦争に駆り立てたのは他ならぬ米国でした。相手がなければ戦争は当然の事ながら成り立ち得ません。この点に関し、先ず、米国の戦争責任を問いたいと思います。