太平洋戦争)その10終戦へ〕その2

大本営ーーー陸軍大臣海軍大臣は閣僚名簿にあるので割愛いたします。
ーーーー年ーーーー 参謀総長ーーー軍令部総長
1941年(昭和16年)ーーー杉山元ーーーー博恭王
ーーーーーーーーーーーーーーーーー4月 永野修身
1944年(昭和19年)ー2月 東条英機ーー2月 嶋田繁太郎
ーーーーーーーーー7月 梅津美治郎ー8月 及川古志郎
1945年(昭和20年)ーーーーーーーーー5月 豊田副武
申し上げておりますように、これらの人物も糾弾されねばなりません。

今度の戦争に関して、米国の責任が追及されていないのは全く片手落ちで理不尽な話であります。確かに朝鮮を併合し、中国に対して満州を足がかりに利権を拡大し侵略していく一方で、南太平洋における列強の利権を侵害しようとしていた日本ではありましたが、1941年11月30日の深夜12時まで日米開戦の決定を延ばしていたのは、問題の米国の対応を確認する為でありました。既に述べた如く、当時の日本のアキレス腱は石油でありました。1941年8月1日付の米国による石油の対日全面禁輸が非常に大きなインパクトでありました。瀬島龍三著、「幾山河」(扶桑社)から引用いたしましょう。
「確か、十月中旬であった。塚田参謀次長に随行して参内した帰途、車中で次長が『瀬島、油のために戦争せねばならんのかなあ』と苦渋に満ちた一言を漏らされた。私は『閣下、その通りですがーーー』と答えるのがやっとだった。」

朝鮮併合に対するに米国だって既に述べたように1897年6月に、それ以前に海兵隊でハワイ王朝を倒した上で、ハワイを併合しています。日本が中国に利権を持ったということに対しては、米国だってフィリピンを植民地化していたではありませんか。それを「ならず者国家」のような扱いで資産を凍結し、石油の全面禁輸を行って、日本を戦争に駆り立てたのは他ならぬ米国でした。相手がなければ戦争は当然の事ながら成り立ち得ません。この点に関し、先ず、米国の戦争責任を問いたいと思います。