神様の宇宙

神様の宇宙 1. 私たち人間:私たち人間は、現在それぞれの着物(肉体)を着て、それぞれの「人生」を送っている。それぞれの人生において神様から見て「学び」を得るために日々送っている状態であります。そしてその人生が終わるとき(死)魂に戻り、また…

神とは

神とは 広い宇宙空間にはたくさんの神々がおられる。例えば私が述べている「天の神様」が主宰されている神様のお席には24名の神々様がおられる。そのほか天候に関与されている神様なんてのもあります。日本人になじみの深い神様といえば、例えば天照大神様(…

アルスへの移行

アルスへの移行 「天の神様」に記載のある如く、あと何年かで現在の地球「サラス」の地軸は「ラタカルタ(愛)」の位置に変動致します。ですから「ロスタイムに入っています」に述べられているが如く、結果としては地上にあるものはすべて烏有に帰しますので…

ロスタイムに入っています

ロスタイムに入っています1.地球(サラス)は色んな意味で完全に行き詰って居ります。例えば世界中に散らばって居る何万発もの原水爆弾、これは1発破裂しても地球は粉々になってしまいます。サラスの有り方が変わらない限り、私たち人類はこのような危険の中…

世の終わりに際しての総括

世の終わりに際しての総括世の終わりに際し日本の来し方を振り返るという事になりますと、総括という意味では近隣の諸国との関係がどのようであったか振り返る事は避けては通れない道だと思います。読者も御存知の如く、江戸時代は鎖国であり長崎は出島を通…

天の神様

天の神様序文)他の神々様と区別する為に私達は宇宙そのものを作られた宇宙最高の創造神、万能の神様の事を“天の神様”と特別にお呼びしている。私達を含む宇宙は元々この神様によって創造され、この神様とは切っても切れないご縁がある筈であるのに、私達地…

太平洋戦争)その10終戦へ〕その2

大本営ーーー陸軍大臣、海軍大臣は閣僚名簿にあるので割愛いたします。 ーーーー年ーーーー 参謀総長ーーー軍令部総長 1941年(昭和16年)ーーー杉山元ーーーー博恭王 ーーーーーーーーーーーーーーーーー4月 永野修身 1944年(昭和19年)ー2月 東条英機ーー2月 …

太平洋戦争)その9終戦へ〕その1

小磯国昭内閣 1944.7.18〜1945.4.7 総理:小磯国昭 外務:重光葵 内務:大達茂雄 大蔵:石渡荘太郎、津島寿一 陸軍:杉山元 海軍:米内光政 司法:松坂広政 文部:二宮治重、児玉秀雄 農商:嶋田俊雄 軍需:藤原銀次郎、吉田茂 運輸通信:前田米蔵 大東亜:…

太平洋戦争)その8開戦〕その7

大東亜新秩序に従い独立を勝ち得た国もあり(ビルマ、フィリピン等)、日本の治世も必ずしも悪くはなかったと言い張る輩も居るそうですが、朝鮮・中国のみならず1941年12月25日から4年間支配した香港でも日本の評判は悪いのです。これは英国が惜しまれながら去…

太平洋戦争)その7開戦〕その6

適切に手を打っていればその後起こったことは総てなかったでしょう。即ち; 1.ひめゆりの地を含む沖縄全土で20万人もの人をむごい死に遭わせる事はなかったでしょう。 2.陸海軍軍属とはいえ2百万人以上の人を死なせずにすみました。 3.広島で20万人、長崎…

random thoughts]小沢一郎という政治家

去年の3月ですか、大久保とか言う秘書が逮捕されたのは。正直言って、その時まで筆者も小沢一郎の蔭の部分を一切知らなかった。あの時小沢はまさに民主党の党首として、政権交代が起これば「総理大臣」になる勢いであった。あの時は、西松からの献金問題。結局…

random thoughts]調査捕鯨ということ

調査捕鯨船とこれに反対するSea Shepherdが南氷洋上でぶつかっている。ここで筆者はわざと「日本の調査捕鯨船」とは書かなかった。新聞紙上などで、あたかも調査捕鯨は日本の正当な権利であり、これを妨害するSea Shepherdはとんでもない悪漢の如く扱われてい…

太平洋戦争)その6開戦〕その5

この戦争の継続の戦費ですが、無計画な拡大路線を裏付けるように、急速に膨張しております。予算は一般会計予算と臨時軍事費に分かれていますが、1940年度には、夫々62億円と54億円だったものが1945年に至っては、夫々、290億円と850億円となっており、ロジ…

太平洋戦争)その5開戦〕その4

既に述べましたが、些か次元の低い戦評に従いますと、この戦争は石油の為にやりました。相手は主として米国です。開戦後早い時期に既にスマトラ島において十分な量の石油を確保しています。鉱物資源等戦争の継続に必要な資源類も占領し支配下にある地域から…

太平洋戦争)その4開戦)その3

元のミッドウェー海戦に戻りますが、このときが大きな転機でした。即ちこのときアメリカと講和を結ぶべきでした。相手のアメリカにしても、このミッドウェーでこそたまさか勝ちましたが,まだこの時点では全般的な戦況は必ずしも良くは無く、話し合いのチャ…

太平洋戦争)その3開戦〕その2

然し、海戦その他におけるもっと大きな意味の敗因は、この敗北の如きちょっとした手違いだけの理由ではないらしいのです。例えば米軍は開戦前の1940年8月に既に日本の暗号の解読に成功しており、以降、日本軍の行動は米軍には筒抜けだったのでした。時期的に…

太平洋戦争)その2開戦〕その1

開戦直後は、マレー半島の英領コタベル、タイ領シンゴラ、パタニ、ハワイ真珠湾のほか、台湾や仏印の基地から発進した陸海軍機によりフィリピンの米軍基地、マレー半島各地、シンガポールを爆撃し好調な出足でありました。結果的に1942年に入り1月にはマニラ…

太平洋戦争)その1開戦前夜〕

1939年9月ヒットラーのドイツ軍、ポーランド侵入。英仏、ドイツに宣戦布告し第2次世界大戦が勃発しました。政府は大東亜関連で南進の意図があるため、直ちに欧州戦争不介入と声明しました。1940年2月ハル米国務長官が日ソ両国に対して中立法不適用と発表い…

日中関係)その5

その後日本軍は事実上中国を武力で制圧し1940年11月の御前会議で支那事変処理要綱を決定し、それに従って日華基本条約並びに日満華共同宣言を調印し、満州国を中国も含めて既成事実とし、日本の中国に対する支配を確立した上で、1941年9月の御前会議で「帝国…

日中関係)その4

この演説で孫文が日本に対して言いたかったことは、(日本は覇道〔欧米式の帝国主義〕を捨てて、王道を貫き、干城になれ)ということに尽きると思います。これは欧米型の軍事力を整えつつあり、既に朝鮮は併合し、日増しに中国に対する干渉を強めていた日本に…

日中関係)その3

これに先立つ事約9年、中国の国父として現在の中国、台湾の双方から尊敬を受けている孫文が国民党総理・中華民国陸海軍大元帥として1924年11月長崎を経由して神戸を訪れています。彼が11月28日に神戸高等女学校で行った長い演説は後年「大アジア主義」として…

別表I)年表その5

1929(昭4) 11月 朝鮮疑獄事件に関し山梨前総督召還。 1930(昭5) 5月 間島で朝鮮人の反日武装暴動起こる(間島5.30事件)。 10月 第二次間島暴動。 1931(昭6) 6月 朝鮮総督に宇垣一成任命。 7月 長春公害で中国・朝鮮の農民が衝突(万宝山事件)。 9月 柳条溝の満…

別表I)年表その4

1914(大3) 1月 間島朝鮮人暴動。 1918(大7) 3月 京城を始め朝鮮各地で独立運動が約6ヶ月続く(万歳事件)。 8月 朝鮮総督に齋藤実大将を任命。 9月 齋藤実総督、京城で暗殺。 1919(大8) 4月 李承晩、上海に大韓臨時政府を樹立。 1920(大9) 10月 琿春日本領事館…

日中関係)その2

ところが、1922年7月に至って加藤内閣が閣議で、中国の中央政府・地方政府に日本の現役の軍人を顧問として採用せしめるという事を決定したとあっては、相変わらず相手の意見も聞かず問答無用という形の上の問題もありますが、その内容の悪さは大いに問題とな…

別表I)年表その3

1905(明38) 2月 韓国に日本人警務顧問をおく。 4月 閣議で韓国保護権の確立を決定する。 9月 日露戦争が勝利で終戦。 11月 外交権を完全に日本が掌握。 12月 韓国統監府が京城におかれ伊藤博文が統監になる。 1906(明39) 2月 駐韓日本憲兵の行政警察・司法警…

日中関係)その1

この関係も明治の出だしから不自然なものを感じます。軍備を強化する一方でリベラルな意見の持ち主を追い込め、言論統制を強めた上で、日清戦争の勝利を経て、1898年8月伊藤は清国を視察しています。朝鮮の所でも触れましたが1902年10月に第一次桂太郎内閣の…

別表I)年表その2

1896(明29) 2月 韓国で、親ロシア派によるクーデターが起こり親日派政権が打倒される。 5月 京城で日露協定成立(小村・ウェーバー覚書)。 6月 朝鮮問題に関して山県・ロバノフ協定調印。 1897(明30) 10月 朝鮮が国号を大韓と改め、王を皇帝と称する。 1898(…

別表I)年表その1

1888(明21) 6月 伊藤博文、朝鮮漁港とウラジオストック地方を視察する。 1889(明22) 2月 朝鮮・鎮江で排外運動起こる。 10月 朝鮮が日本に対して穀物の輸出を停止する(防穀令事件)。 1893(明26) 3月 朝鮮政府が防穀令に関する日本の損害は4万円と通告してく…

日朝関係)その3

目に見える形で朝鮮が日本に自由を奪われたのは1905年12月の韓国統監府の設置ですが、その命運を決したのは1902年10月の第一次桂太郎内閣のときに479万円の支出を清韓事業費・経営費(即ち中国と韓国を侵略する為の工作費用)として閣議で決定した時でありま…

日朝関係)その2

それは、初代(1885年)の首相の伊藤博文であります。彼は明治憲法を始め明治の政府の枠組みを作りました。従って、この政府の行くべき方向も大きく彼によって規定されたと考えます。彼は都合4回組閣していますが、全くの話、訳の分からない議会制度をつくり…