日中関係)その3

これに先立つ事約9年、中国の国父として現在の中国、台湾の双方から尊敬を受けている孫文が国民党総理・中華民国陸海軍大元帥として1924年11月長崎を経由して神戸を訪れています。彼が11月28日に神戸高等女学校で行った長い演説は後年「大アジア主義」として知られるところとなります。この事に関し田所竹彦著の『孫文』から引用させて頂きます。
【この演説会は神戸商工会議所や各新聞社など5団体が主催したもので、側近の戴李陶〔号は天仇〕が通訳し、3千人の聴衆が集まった。演題は主催者から出されたものだが、当日は『大亜細亜問題』となっていた。当時の日本には、優勢な工業力と軍事力で迫る欧米の白色人種に屈することなく、日本が先頭に立って有色人種のアジア人がこれに対抗するという意味での大アジア主義を主張する動きがあった。これに対する孫文の見解を述べたのがこの演説である。日本語訳は、市販されている『孫文選集』〔伊地智善継・山口一郎監修。1985-1989年、社会思想社刊〕などにあるが、その趣旨を紹介しておこう。

孫文はまず、アジアが世界の中でも古い文化を持つ地域であり、ここ数百年はヨーロッパ諸国の隆盛とは逆に衰退した歴史を振り返り30年前(19世紀末)になって日本が外国との不平等条約破棄に成功した事から転機が生まれた、としている。更に、日露戦争での日本の勝利がアジア諸国を力づけ、エジプト、ペルシャ、トルコ、アフガニスタン、アラビア、インドなどの独立運動に繋がった、と述べている。こうした動きに対する欧米の反応を分析する中から、覇道と王道の対立という演題の基本テーマが導き出される。つまり、ヨーロッパの文化こそが正義と人道に合致すると考える欧米人は、アジア諸国民族の独立への動きを世界文化への反逆と見做し、黄禍論を唱える。然し、目先の利益だけを求め、武器の発達に依存するヨーロッパの物質文明は、結局のところ覇道の文化に過ぎない、というのである。これに対して、アジアには武力ではなくどうりと徳によって他を感化する王道の文化があり、功利と強権に頼る西洋の覇道文化は、やがては仁義と道徳の東洋の王道文化に服従する事になるだろう、と孫文は予言する。】