太平洋戦争)その3開戦〕その2

然し、海戦その他におけるもっと大きな意味の敗因は、この敗北の如きちょっとした手違いだけの理由ではないらしいのです。例えば米軍は開戦前の1940年8月に既に日本の暗号の解読に成功しており、以降、日本軍の行動は米軍には筒抜けだったのでした。時期的にはちょっと下がりますが、1943年4月18日に山本五十六の乗っている戦闘機が撃墜され山本は、戦死していますが、この場合も事前に山本機の情報が米側に漏れていたのです。又、視界の悪い時の海戦で威力を発揮するのはレーダーの解像力ですが、米軍は1930年には高性能のレーダー設備の開発に成功しており、今回の開戦時には既に、実戦配備されておりました。これらの事もこのミッドウェー海戦では大きなウェイトを占めたように考えられます。それから、この海戦だけでなく全般的なことに関して言えば、軍上層部の徹底した石頭の官僚主義があったと指摘されています。即ち臨機応変の対応が出来なかったのであります。又、陸軍と海軍の反目は目を覆うばかりであり、最後まで協調体制は取れませんでした。この点に関し、安藤良雄編、原書房、「昭和史への証言」からの引用を次にお伝えいたします。
「すべてが欠陥だらけ。そのうちでも一番大きな欠陥は陸海軍のけんかですわ」
「三菱と中島は陸軍と海軍、両方の飛行機を作っているが、その同じ会社で陸軍の飛行機をつくっている技師と海軍の飛行機を研究している技師の交流をゆるさんのです。もう絶対秘密です。機材の融通もできない。たとえば同じ会社にニッケルがある程度あるけれど、それが陸軍で世話したニッケルだと、海軍の飛行機を作るのに、そのニッケルが必要でも、やらんもんだから生産があがっていかないのです。」