太平洋戦争)その2開戦〕その1

開戦直後は、マレー半島の英領コタベル、タイ領シンゴラ、パタニ、ハワイ真珠湾のほか、台湾や仏印の基地から発進した陸海軍機によりフィリピンの米軍基地、マレー半島各地、シンガポールを爆撃し好調な出足でありました。結果的に1942年に入り1月にはマニラを占領し、2月にはシンガポールを占領、3月にはバタビア、ラングーン、ジャワ島、4月にはニューギニア、バターン等、5月にはコレヒドール島と戦果は続いたのであります。

然し、これらの事が砂上の楼閣であった事が一瞬にして分かる時がその後直ちにやってくるのであります。

日本は海軍力には自信を持っていました。軍備増強にはこれまで積極的に手を打ってきましたし、何しろ日本は航空母艦の発明者であったからです。即ち1920年に完成した鳳翔が世界初の空母でした。更には又、世界最高性能の艦載機ゼロ戦の持ち主でもあります。ところがちょっとした手違いで1942年6月5〜7日のミッドウェー海戦では大敗を喫してしまったのです。このときの大敗は、艦載機が低空に降りて相手の艦隊を攻撃する時に上空にぽっかりと隙ができてそこから相手の航空機の攻撃を受けてほぼ全滅に近い痛手を負ったのであります。即ち主力空母及び全艦載機を失い、完全に敗北したのであります。開戦前に永野軍令総長の言った2年はおろか、わずか半年でこの戦争は実質上敗北していたのであります。この海戦での損失は次の如くになります。

航空母艦:加賀(38,200トン)、蒼龍(15,900トン)、赤城(36,500トン)、飛龍(17,300トン)
重巡洋艦:三隈(9,500トン)、最上ーーー大破
艦載機: 285機全滅