太平洋戦争)その7開戦〕その6

適切に手を打っていればその後起こったことは総てなかったでしょう。即ち;
1.ひめゆりの地を含む沖縄全土で20万人もの人をむごい死に遭わせる事はなかったでしょう。
2.陸海軍軍属とはいえ2百万人以上の人を死なせずにすみました。
3.広島で20万人、長崎で8万人、人道に背く原爆で死に至らしめることはなかったはずです。
4.全国で、焼夷弾その他で20万人の人々を失いましたが、これも避けえられた事であります。
5.学徒出陣などという狂った制度を採らずにすんだし、大西滝治郎中将が考え出した特攻や、回天などという人間性に反逆する方策をとる必要もなかったのです。(これは9.11はじめアラブテロでまねされています。不名誉な事です。)
6.国民は疎開の如く本来不必要な移動を実質的に強要される事はありませんでした。
7.国民は全員、特高憲兵からの恐怖に対応する事も含めて、生活を変えることを強いられましたが、これも不要な事でした。
8.外地でも、捕虜になった人たちを含めて30万人もの民間人を死に至らしめました。又、虚飾に満ちた大本営発表で国民を欺き通した罪も大きいものがあります。
9.軍事優先の付けを国民に負わせ、国民に言うに言われぬ耐乏生活を強いた事も、全く無駄な事でした。

只、よく政治家達が今日の繁栄はこうして亡くなった方々の犠牲の上に成り立っているといいますが、その考えには私は全く反対です。なくなった方々は、今日の繁栄に全く関係なく、完全な犬死です。それだけに、この人たちをその様な境遇に追いやった者たちの罪が余計にくっきりと浮かび上がるのです。今日の繁栄は、生き残った人、その後の世代の人々が営々として努力し築いた結果に他なりません。

戦後の、第1回の議会で(1945年11月28日・第89臨時帝国議会)で当時の陸相の下村定大将が、これまでの軍の不当な政治関与を泣きながら率直に詫びたがそれでは遅すぎたし、その程度のことで事は済む筈がないのであります。